この夏の1押し絶景
「東洋のマチュピチュ」に行ってきました。

山道をくねくねとどこまでも上って、
明治時代に栄えた別子銅山の跡地は涼しい澄んだ風が吹く別世界。

まずは、山々の間から見える絵葉書のような絶景に感激!
青い空と白い雲。神々しく光る海に浮かぶ島々。
本州の影もうっすら見えて瀬戸内海が本当にキレイで。

こんなに山深くまで切り開いて坑道を掘り、切り立った崖に鉄道を走らせ、
小学校もある町を作り、貯鉱庫や索道基地を作り、何千人もの人々が銅を掘り出して暮らしていたなんて、昔の人たちはすごい。
暗い坑道の中はひんやり寒く、水がしみ出て湿気もある中で真っ黒になりながら、来る日も来る日も穴の中での仕事はさぞ辛かっただろうな。

道端には、8月だというのにまだアジサイが咲いていた。
小さな孫たちと一緒に行ったけど、もっと大きくなってから連れていったら社会勉強になったかも。
いやいや、孫を抱っこしたり追いかける体力があるうちに行けたから、今でよかったかな?
おしゃべりが上手になって、ずっとソフトクリームを食べたがってたKちゃん。
「お昼を食べてからね」とママに言われてしばらく泣いていたけど、レストランのカレーの匂いに誘われたのか、「いまはカレー」と急にカレーモードに。

思ったことを知ってる単語並べてしゃべるから面白いわ(笑)
女の子みたいなカワイイ声で、テレビのCM見ては「これ買う」「ここ行く」とどこまでもストレートに欲求表現。 
「上(2階に)行く」「ばーば ねんね」 それから、マクドナルド見たら「ハッピーセット!」
とにかくやっとおしゃべりし始めた3歳児は超可愛い♪ (←ばばバカ)

食後のいよかんソフト、美味しかったね!


みきゃん熱再び・・
みきゃん熱再び・・
ただ今、こちらはこの秋に開催される国体に向けて盛り上がっています。
イメージキャラクターは当然、ご当地ゆるキャラの「みきゃん」

いろんな国体みきゃんのグッズが出ているみたいで、取引先の社長さんがみきゃんのポロシャツを着ていたり、いい年のおじさんたちがみきゃんのピンバッチをして営業に回っていたり・・
そうなると、用件聞きながら目はみきゃんに釘づけだったりして。

それに見て、この可愛いシール切手!
62円切手が10枚なのに、売値が倍近い1200円!(高っ!)
まさにぼったくりのような値段なんだけど、1シート買うともれなくみきゃんのクリアファイルがついてくる。しかも誰かが買ってきたのを見ると、裏にはダークみきゃんまでニヒルに笑っているじゃありませんか。
即、ゲットして喜んでおります。

それに、スーパーのカードまでみきゃん仕様になって送られてきて嬉しいのなんの♪
会社の子たちが最近ようやくみきゃんの可愛らしさに気付いてくれて、
何だかんだとみきゃん話で盛り上がっています。

9月の最終日から始まる「えひめ国体」まであと70日を切って、
空港周辺は国体に間に合わせようと、外環状線道路空港線の工事が佳境に入っています。
全国から集まる選手や応援団がスムーズに移動できるようにするために、一大工事が数年前から始まっているのです。
だから、ちょっとくらい切手シートでぼったくられても、寄付だと思えば安いもの。

まだあちこち工事中で、信号機が機能していない交差点を譲り合って走ったり、結構スリルある状態。
全線開通すれば、空港からインターまでたったの14分で行けるらしい。(以前は35分かかった)
途中まで開通している今でも、以前と比べたらすごくスムーズで、うちから10分くらいで高速に乗れるようになったんだから、国体さまさまだ。
(おかげで先月は大阪・広島、東予に南予とあちこち走って、ETCの請求が2万6千円!)


しかし、これからの猛暑。道路は果たして間に合うのかな?
工事関係者の方、熱中症に気をつけて頑張って下さい。




思い出の片づけ
さすがに夏休み前とあって梅雨明けしたかのような連日の暑さ。
海の日の連休、いかがお過ごしですか?

この暑さでますます腰が重かったんだけど、覚悟を決めてじーさまの家の片づけに着手しました。
ダンナが外の雑草と格闘している間に、窓を開けてクーラーつけて、まずは燃えるごみの袋入れからスタート。
出るわ出るわ、その辺に散らかってるものやつっこんであるものだけで袋が次々に一杯になる。とにかく見えるところだけでもやっつけようと、ハンガーに吊り下げた服や、領収書の束、かばんやうちわ、小物類。ちらっと箪笥の引き出しも。。

あと、台所の膨大な食器も別の袋に入れていった。ガラス陶磁器は重いので持てる分だけ入れていたら相当な量になった。
黄色と緑のひまわり柄のコップ、夏の暑い日によくお姑さんがクリームソーダを作って、子供たちと一緒に「お飲み」と飲ませてくれたっけ。。かき氷にどじょう汁、手作りの麺つゆで食べる素麺…
小鉢や小皿を見ると、懐かしい料理が思い浮かぶ。いつも台所に立って何でも作ってくれたな~ 
お姑さんのおかげで、うちの子たちは大きくなったみたいなもの。
全く使った形跡のないきれいな食器はうちの古いやつと入れ替えて使わせてもらおう。

家1軒、空っぽになるのはこの作業をあと何回すればいいのかな?
まあ、長期計画でボチボチやっていこう。2階も手つかずだし。
明日は、袋の山を市の処理場に持っていく予定。

夕方のんびりテレビを見ていたら、突然息子が帰ってきて、「ゲーセンでこれ取れたから孫にやって」と言ってアヒルのぬいぐるみを置いてそのまま帰って行った。
実は先月、転んで手足を8針も縫う大ケガして長いことうちで療養していた息子。
やっと仕事に復帰できて、今日は近くの病院に傷の具合を診てもらいに帰ってきていたらしい。
「ちゃんと頑張ってる?」「うん、傷もだいぶ治ったし。暗くなる前に帰るわ」と言ってハヤテのようにバイクで去っていった。
会社の計らいで、長期の出張が途中で切り上げられてこっちに戻ってこられたのは不幸中の幸い。
けど、もうあんまり親をハラハラさせないでほしいわ(^^;)






ショックな脳内画像
今月もまたひどい肩こりから頭痛になって、
「また緊張型頭痛が始まった」とゲッソリ。
今回は何を飲んでも効かないし、どんどん痛みがひどくなるのでちゃんと調べようと思って脳神経外科へ行って診察を受けたら、
「それは片頭痛ですよ」と言われた。
肩こりが原因なんじゃなくて、片頭痛が起こる前に肩こりが始まるんだそうだ。
へ~! そうなんだ。

ついでに念願のMRIも受けてみた。
トン、トン、トン、カタン、コトン、ガタガタと、頭のあちこちをトンカチで音をたてて刺激してるみたい。元から頭痛がしてるので、ちょっとしんどかったけど、ものの30分も続いただろうか。

最近はしょっちゅうモノを探したり、覚えた名前が出てこなかったりして、
「きっと脳の血管がどこか詰まってるんだ」と自虐的に思っていたけど、初めて自分の脳内画像を見たら、いつの間にできたかわからない小さな隠れ脳梗塞が2つ、ホントにあってビックリ!

じーさまに付き添ってそんな画像を見たことはあるけど、90近いじーさまなら年相応だよねと軽く流していたけど、自分の脳だからね。まだまだこの先つきあい長いのに、いつどんな状態で詰まったんだろう?
中央の太い血管はみんなきれいでコブもなく正常で、白く見えるのは末端の細い血管らしい。
「だから物忘れが多くなってたんでしょうか」と聞くと、そこは記憶には関係ないんだって。
記憶に関係する海馬ってところは少し隙間はあるけど、委縮してるようには見えないと言われて安心した。
でも、これまでみたいに「自分はまだまだ大丈夫」なんて過信していたら後で後悔するだろう。
水分はたっぷりとって、睡眠不足にならないように、コレステロールにも気をつけて、脳トレしたり、運動したり、太り過ぎにも注意して、ストレスをためないように、ホントに意識して生活しなきゃなりませんな。

気分が悪いくらい痛みが続いていたけど、病院でもらった片頭痛用の薬を1錠飲んだらスーッとひいた。
頭蓋内の血管を収縮させて正常にして血管周囲の炎症を抑えてくれるそうで。
急に肩こりがひいて、脳の血管の風通しがよくなった感じ。

自分の体とうまくつきあっていかないと。
なんか最近、実感すること多し。





夕やけにリバース
リバース終わりましたね。
その前の週のラストで、優しさのつもりで渡した蕎麦入りのはちみつコーヒーがまさかの原因だったとわかった時、知らなかったとはいえ何て皮肉な結末なのと背筋がゾーッとしたけれど。
(アレルギーある人は周りにちゃんと言わなきゃダメだよ~)

最終回にはあの4人のキラキラ男子が揃って広沢くんの実家の両親の元へ行き、
「酒飲ませました」「運転押し付けました」「蕎麦入りのコーヒー飲ませました」と突然口々に告白されたんじゃ、お母さんキレるのも無理はないよ。
偶然が積み重なった結果とはいえ、それで死んだのは自分の息子なんだから。
その偶然がなかったら、息子は今も生きていたんだから。

でも、海を見下ろすミカン畑で、死んだ理由じゃなくどう生きていたか、口々に4人がお父さんに話してあげるシーン、「生きていたらどんな仕事に就いていたんやろなあ」と父親ならではの独り言はジーンと響いた。
広沢くんも美穂子も愛媛出身という設定でロケもあって、ちょっぴりへんてこな伊予弁もご愛嬌。(ちょっと関西色強かったよ)
深瀬くんの不器用でひたむきな一生懸命さ、体育会系で押しの強い谷原くんも子煩悩でそれなりに悩み隠してて、いつもクールで冷静な浅見くん、2世の息子を地で行く村井くんもいい感じ出てた。回を追うごとに、あのメンバーの友情が強くなるのを感じて、4人のシーンを見るのが楽しかった。
きっとお母さんも乗り越えて生きていってくれるような気がする。

今日は偶然にも、ロケ地に近い伊予灘の夕やけこやけラインをドライブしたので、曇りがちで壮大な夕日は見えなかったけど、それでもきれいなオレンジの光が海に光ってキレイでした。
う~ん、リバース。面白かったのに、来週から見れないとは残念!
あとは顔芸オンパレードの小さな巨人と、あなそれの最終回に注目デス。




中学からの仲よしグループ。
家が近いとか、気が合って交換日記してたとか、そんな友だち同士がいくつか合体して、たまにしか里帰りしない今でも、サッと6人が集合してワイワイガヤガヤとりとめのない話をして飲み食いするという関係だった。

先週、その中でも背が高い順で1番最初に親しくなった子が突然電話してきて、
「今ダンナと旅行中で、もうすぐそっちに着くから道後温泉に一緒に入ろうよ」と言うのでビックリ! 
買い物から帰ったばかりで時間も午後2時半すぎ。
「温泉入る気分じゃないから松山城ならつきあうよ」と30分後に待ち合わせて急きょ2年ぶりの再会となったのでした。

久しぶりに会う彼女はますます体格がよくなっていて(私も人のことは言えないけど)「もうどこまで太るのって感じよね~」とくったくなく笑って相変わらずだった。
彼女に負けず劣らず背の高いダンナさんは還暦過ぎても相変わらず姿もやることも若くて、石垣に2、3段よじ登って写真のポーズをとるような人で、お城や歴史に詳しかった。
看護師しながら4人の子を育て、つい最近結婚した美人な娘さんの結婚式の写真やスピーチをタブレットで見せてくれた。上の男の子2人もシュッとしたイケメンになっていたけど、まだ末の女の子は高3。これからまだ学費もいるというから大変だ。
たった1時間半の再会だったけど、お互い友情を再確認して(笑)友だちっていいなと思った。


そんなめったにない再会を果たした翌日の朝、今度は別の友だちから珍しく携帯が鳴った。
「ごめん朝から。実は、今朝Sさんが亡くなったって連絡があって・・」
「えーっ!!」
遠くに住んでる私には表立って聞かされていなかったけど、実は地震があった日に胃がんがわかって、余震も収まらないうちに胃を全摘、その後回復していたのに今度は乳がん(!)ずっと抗がん剤治療をしていたそうだ。

闘病中だとは聞いていたけど、今年も年賀状が来たし、機種変でLINEから友だちが消えた時も彼女だけは残っていて、「ガラケー卒業?」と明るい様子で連絡してくれた彼女。
「よかばあちゃんになりよるね。今年もよろしく~」っていつもの調子だったのに。
あの時もっとやりとりすればよかった。病気のことは知らないことになっていたのでそれっきりだった。
Sさんは結婚するのが遅くて子供には恵まれなかったけど、その分ダンナさんと二人三脚で2つのコンビニを切り盛りして、友だちの息子たちをバイトで雇ってあげたりしていた。
中学時代は私はジュリー、彼女はゴローの大ファンで、カラオケは何でもうまいし、話の面白いフランクな人だった。いつも元気でおよそ早死するタイプじゃないと思ってた。大地震の時はがんの宣告に落ち込む間もなく店の片づけに追われ、店の子たちを自宅に泊めてあげたりしてたんだって。

地元でつるんでいた友だち3人は、そんな彼女のダンナさんが仕事に出ている間や、親戚の人が帰って誰もいない合間に交代で付き添っていたそうだ。
「頑張りやで8回も抗がん剤打って治そうと頑張ってたんだよ」と聞いた。
みんな彼女のためだけでなく、自分たちが後悔しないよう最期までつきあわずにはいられなかったのかもしれない。
旅行から帰った翌日にお通夜に行った友だち、残されたダンナさんが「彼女と結婚して幸せでした」と挨拶して、楽しそうな思い出の写真がたくさん飾られていて泣けたと言っていた。

思いがけなく、普段連絡もしない友だち同士で連絡網が頻繁になったけど、
元気な姿しか知らないまま、もう2度と会えなくなってしまった。
健康で、友だちがいて、家族がいて、こうして生きられることはとても幸せなんだと改めて思った。
無念だった彼女の分まで・・!


夕焼け空の七変化
夕焼け空の七変化
夕焼け空の七変化
5月の澄んだ空気の中、夕焼けがきれいなこの頃です。

早めに夕食すませてから川沿いを散歩していると、刻々と変わりゆく空模様に見とれてしまいます。
そんな時はユーミンの歌詞の一節が自然と出てくる。
 
 空色は水色に 茜は紅に、 

  藍色は群青に 薄暮は紫に、 
  
  ふるさとは深いしじまに 輝きだすー

日本の色を表す言葉のなんと繊細で絶妙なことだろう! 

それからハイファイセットの「幸せになるため」の歌詞も大好き。

夕焼けが燃えて落ちてゆくよ 山なみの向こうへとはせる思い

あの人が暮らす町もやがて  バラ色の輝きに染まるころー

恋に恋してたあの頃も、遠距離だったあの頃も、夕焼け見ながら一人で口ずさんでいたけれど、
今はその町に暮らしてずいぶん経って、お互い文句言いながらも2人で散歩してるんだな~と思ったり。

そのうち孫たちが大きくなって、誰か一人はこっちの大学に来るから下宿させてなんて言い出すかもね、なんて話しながらね。

いつまでも元気で暮らせますように。



あ``ーもみ返しがイタイ・・
久しぶりにサロンパス首から背中にかけてベタベタ貼ってます。 

どうにも朝から出勤準備する気力が起きなくて、(ここ3日ずっとそうだけど)
朝夕の寒暖差から体調崩したのか、ゆうべも早く寝たのにちょっと限界で、
とうとう朝から休んでしまった。。

いや、熱を測っても36.6度。平熱より高いけど、微熱まではいかないし、のども痛くない。病院行くのもちょっと踏ん切りつかなくてダラダラしててもらちが明かず。
それより、この肩こりと全身のだるさを何とかしようと、半年ぶりに行きつけの整体に電話したらちょうど空いていたのですぐ滑り込んだのでした。

ゆるーく60分、背中や肩を中心に全身もんでもらって、首の筋を2本ポキッとひっぱってもらって、(首が2か所縮んでいたらしい)頭痛がするからとヘッドマッサージもゴリゴリとやってもらった。
「側頭葉もまれて特に痛む人は、仕事や対人関係にストレス感じてる人だそうですよ」
うわ、側頭葉、効く~! 嫌な人はいなくても、やっぱ、今でも人に気を遣ってる証拠だろうな~

まぁ、おかげさまでスッキリ気持ちよく帰宅して、元気になったところで、
「そうだ! 最近また歯茎が時どきしみたりするから、休んだついでに歯医者に行こう」と思い、またすんなりと夕方に予約できたので行ってきた。

やはり、右上の歯が歯周病になりかけていたので、歯石をとってケアしてもらった。
この分じゃすぐに治療がすみそうで、思いきって行ってよかった。

そんなわけで、昼寝とか全然できなかったけど、日頃行きたくても行けなかったところに2か所も行けて休んだ甲斐があった。
もみ返しは痛いけど、さて、明日から頑張らなくちゃ。




 



日記無精中。。

2017年5月14日 日常
日記無精中。。
日記無精中。。
毎度ご無沙汰しております。
一人になれるわずかな時間もドラマとか見ていたらすぐ寝る時間になるし、
なかなか書く暇がありません。

今楽しみに見ているドラマは、
「リバース」「あなたのことはそれほど」「小さな巨人」それと大河。
全く違ったそれぞれのストーリーが現実離れしていて面白い。


子供の日には孫たちと動物園へ。
もうすぐ3歳になるKちゃんの食いつきは想像以上で、どの動物にも興味深々、
1か所にとどまってキャッキャ言いながらジーっと観察するので、全部回るのに半日以上かかった。
あんなに夢中になってくれると、連れてった甲斐があるわ。

しょっぱなから鳥たちのいるオリには3回も入ったし、ペンギンたちの水槽の前で泳ぐ姿にクギづけになり、猿山では「ジョージ、ジョージ」とおさるたちの様子に大うけ。
雲ひとつないお天気で吹く風も爽やか。ベビーカーのAちゃんもニコニコとご機嫌♪ 
動物園なんて小さい子でもいないとなかなか足が向かないから、こんな楽しみを授けてくれた神様に感謝しないと。

仕事の方も、自分でできる限りの努力をすればそれでいいんだと思うことで気が楽になった。
人を査定するほど自分に技量なんてないけど、客観的に見てその人の自己採点が低いか高いかは判断つくし、自分自身の自己採点とか仕事に対する考えとかもじっくり練って書いたつもり。

そうやって一つ一つクリアしていけば、なんとかやっていけるはず。
有能な人が次々と辞めていった後も同じ仕事をずっと続けてこられたんだし、今までの経験を活かして皆と声かけあっていけば、もう無駄に悩む必要ないと思うことにした。

でも、昨日美容院で見た週刊誌の占いには参った。
なんと、9時から15時までは仕事運・対人運が凶な星の元に生まれてるらしい。
1日の労働時間のうち6時間も悪い時間帯だったら、早朝と夕方に賭けなさいってこと? 
う~ 妙な占いは見なかったことにしよう。





4月の近況報告
4月の近況報告
ゆうべの雨が上がったら、一気に初夏になったみたいな日曜日。
暑苦しくなったボアシーツを洗い、久しぶりに窓を開けて掃除機かけて、部屋がすっきり気持ちいい♪
昼間はいつも家にいないから、窓どころかカーテンすら開けない日も多いし、洗濯物はいつも部屋干しで、空気がよどみっぱなし。
またゴールデンウイークには息子や娘家族が帰ってくるので、少しずつこぎれいにしていかないと。

今年は天候がぐずついたわりには雨風強い日が少なかったので、いつまでも桜がきれいです。
仕事オンリーの毎日のささやかな楽しみはポケモンGO。
(やっとレベル25になったところ)
けっこう会社周辺は変わったポケモンが出没するんだけど、すぐ手持ちのボールがなくなるのです。日が長くなって夕方も明るいし、途中の公園や神社のポケストップに寄り道しては帰っているので、そこここで桜を眺めてストレス解消しています(^^)

この前の日曜は、散歩がてら電車に乗って町へ出て、一人でお城山に登ってきました。
駅から山頂まで徒歩で往復して1万歩。上った階数でいうと25階分。
子どもが小さい頃に行ったきり久々だったので、(というより上りはいつもリフトやロープウエイを利用していた)どんどん急な坂になって息は切れるし途中で引き返そうかと思ったけど、頑張って歩いてよかった。
桜がちょうど見ごろで、観光客や花見客で城内は大賑わい!
松山にこんなに外国人がいるとは信じられないくらい中国人でいっぱいだった。
お城に桜ってホントに似合う。おととし行った姫路城や、故郷の熊本城も桜がきれいだろうな。。

娘一家も無事、広島市内のアパートへ引越して新しい環境になり、Kちゃんは持ち前の社交性で近所に子供を見つけては誰にでもアプローチしているそうで。
早く親子ともども仲よしのお友だちができますように!
婿殿も新しい職場でやりがいのありそうな部署に配属され、「テレビで毎日カープの試合が映るのが一番嬉しい」と喜んでいた。
広島、今年も強いよね~! ホント、応援するのが楽しくて仕方ない♪

息子は正月から夏まで福井に出張して仕事しているし、
私と旦那は静かで楽しい老後を目指し、残りの年数指折り数えながら仕事している。
もうだいぶ慣れたけど、肩書と実際の自分の力量のギャップがどうにも重荷。
同僚にそんな本音を漏らしたら、
「ポピーさんが嫌がったら誰だってその役になるの嫌がりますよ」と言われた。
私みたいなタイプは一人で抱え込まないでみんなと話し合ってやっていくしかない。
リーダーシップがとれないリーダーなんて全く情けない話。そうTOKIOのリーダーみたいな?
誰か代わってくれー!

時々、じーさまが亡くなってまだ3か月しかたってないことに愕然とする。
なんだかあの日々が遠い昔のような気がする。
さてと、明日からまた頑張るぞ。




ごぶさたしております。
社会復帰した途端、夕方には疲れて目がシパシパ・・
まぶたが重くて目が落ちくぼんでいるのがわかる。あー年は取りたくないな~(^^;)
あっという間に毎日が過ぎ、落ち着いて書く余裕もないまま3週間もたってしまいました。

長いこと現場を離れている間に、会社はすっかり様変わりー
今いる子たちが入る前からいた事務員は皆やめてしまい、20代30代の若い世代が中心になって、完全に新しい体制で回っている。

で、やっぱり思った通り、私の席と仕事は元のままというわけにはいかず、
後輩に指示をあおいで手の足りない作業を片づけたり、持ち回りでやっていた仕事を任されたり、いろんな業務をオールマイティにできるよう、覚えたり思い出したりしながら日々頑張っております。

初日は会社に行くのがとにかく気が重くて気が重くて・・!(^^;)
でも行くと言った手前、行かないわけにはいかないし、「エイッ」ととにかく早めに出社した。

席が違ったのも立場が逆転したのも面白いはずはないけど、長いこと迷惑かけていたんだから仕方ない。それより後回しにされた仕事がたまっていて、やることはドッサリあったから、どんどん消化していくのが結構、快感!
細かいこと考えている暇もなく、久々に活気のある職場で働ける幸せを実感してます。

平均年齢が若くなったからか、雰囲気がまるで変わってて、違う会社に来たみたい。
まず言葉遣いがきれいになった。人の悪口を言わなくなった。
イケメンとそれ以外の人に対する態度がそれほど極端ではなくなって、誰にもちゃんと挨拶をするようになった。
昼休みも誰かみたいに更衣室占領して横になってお昼寝タイムするような人はいないし、
おじさん臭くて空気が悪いからと朝っぱらから窓という窓を全開して、吹きっさらしの中寒さに震えながら仕事していたのが、今では換気が必要なくらい閉め切って暖房きき過ぎ(爆)
みんな黙ってA子に従っていたけど、ホントは寒いの我慢していたんだね。

なのでイライラしたりカチンとすることもなく、若い子たちと協力して和気あいあい。
精神衛生上はしごく快適です。
いろいろ4月から新しい業務も加わるし、給料も能力給がつくとかで、みんな若くてバリバリで、なんだか気後れしてしまうんだけどね。
とにかく足を引っ張らないよう、私自身が空気を悪くしないよう、臨機応変に対応しなくちゃいけないなと思ってます。

今日は久しぶりの連休がとれて、ホントに命の洗濯って感じ。
2日続けて休めるのって、きっと5月の連休までないから貴重です。
じーさまの初彼岸、祭壇を飾ってお客さんを待っているけど、今日はもう誰も来ないかな?
お昼も食べたから、新しいスニーカーでサイクリングでもしてみるか。






次なるステップ
49日が終わって祭壇を片付けたら部屋が急に広くなりました。
あのスペースでリビング半分使ってたから。

あとは相続税の申告とか、家の片付けとか、面倒なことが残っているとはいえ、まぁ、とりあえず急ぐことは終わった感じです。
やれやれ(^o^)

Kちゃんと3週間ぶりに会ったら、少しお兄ちゃんぽくなっていまして。
わざとコップをひっくり返したり、妹をたたくこともなく、自分の家に帰って少し落ち着いたのかな。
甘やかすばーばがいない方が娘も孫もしっかりするのかとちょっと寂しいけど、ごはんをおいしそうに平らげたり、怒られて泣きながら抱きついてくるKちゃんが愛しいのなんの・・! 

3か月のあーちゃんもまるまる太って、はっきりした声で「あーあー」とおしゃべりするのです。
目が合うとニッコリ笑ったり、気に入らないとしつこく泣いて意思表示したり。
アンパンマンのことばずかんで遊んでるお兄ちゃんの横で、しっかりことばを吸収しているのかもね。
これからは、頻繁には会えないから寂しくなるな~

今度の日曜は、初節句&お食い初めのお祝いをするそうです。
土曜日はおばさんの49日法要があるし、月曜から仕事に復帰するので今回は辞退することに。
せっかく気に入って奮発したひな人形や孫たちと会えないのは残念だけど、
お疲れ気味のダンナに日帰りで往復7時間も運転させるのは、さすがに気の毒だもんね。

ところで昨日、会社に挨拶に行ってきました。
以前は確かに戻ってこいとは言われたけれど、こんなに休んで、のうのうと戻っていっていいものか。社長始めみんなの真意はどうなのか、知りたいけど知るのが恐い(^^;)
「今さらおばさんに帰ってきてもらっても」・・なんて思われてるのが関の山。

「私、何したらいい?」「さあ・・」「とりあえず何でもするし、席作っておいてね」と頼んできたものの、出戻りの身は微妙な立場。

だよね。8か月前に私の仕事を引き継いで、今や完全に切り回している人から、帰ったからってそっくり返してもらえるとは限らない。
机の位置もどうなるか・・不安はしきりだけど、入ったばかりの新人よりは役に立つはずだと開き直って、たまっている仕事、ファイリングでも裏方でも何でもやるつもりです。

あと今週も残り少なくなっていく・・文明開化ならぬ社会復帰の音がする・・

ガンバラナクッチャ!





仕事再開まであと3週間を切ってしまった。
うーだんだん気が重くなってくる・・(^^;)

クローゼットから事務服をひっぱり出して着てみたら、案の定きっつきつ!!
やばい! やっぱり全然やせてない!
おっかしいなぁ? Kちゃんたちが来てた頃(へとへとに疲れていた頃)体重測ったら2キロもやせてて喜んでいたのに、孫が帰ればたちまち戻る食欲と体型。

小腹がすけば何かつまみ、その上、何といっても明らかに運動不足!
葬式以来、座る機会が増えたので、立ち上がる時足がガクガクしたり、よたついたり。
せっかく乗っていた自転車も、孫がいないとバイクに代わってしまうし、なまった身体の上にこんなんでは、フルタイムに体力がついていかないのが目に見えている。

残された期間で何とか体力つけて少しは身体も引き締めようと、寒風の中、久々にウォーキング再開。
(再開、再開っていつも再開しては自然消滅しているけどー)
初日にしては足を延ばしすぎて、先に行ったからにはその分帰ってこないといけないので、重い足を引きずりながら1時間の予定がスーパーの寄り道入れて2時間もかかってしまった。
それでもたった8866歩程度なのにね。
風が強かったし、坂道が多かったから余計きつかった。夜はぐっすり!

ああ、自分の身体のなんて重いこと!
人間、甘えてるとこうなるのか~ 

頭の方もついていけるか心配だし、仕事の手順メモも復習しておかなければ。

ホントはこのままリタイアしたいけど、今から辞めたらこの先長いし、
休んでいる期間中、私の通帳の金額がみるみる減り続けて、ここらで頑張って貯めなおさないと、うかうか老後も過ごせそうにない。

それにしても、あと3週間、矢のように過ぎていくだろうな。
残されたマイペースに使える期間、有意義に使わなきゃ。



 
週初めにやっと帰って行った娘と孫たち。ふと気がついたらもう2月。早っ!

香典返しの準備、49日法要の手配、役所や年金事務所や銀行にも早く行かなきゃならない。
ってんで、今週はいっぺんにやってしまおうと集中的に動いておりました。

支所の人が親切丁寧に必要箇所にピンクのマーカー引いてくれて、
ポスト・イットに必要なものを書き出してくれて、
銀行や郵便局や農協でも、それぞれの手続きの仕方を親切に教えてくれて大助かり。

生まれてから死ぬまでの戸籍と言ったら(除籍全部記載証明という)、大正時代の手書きのものから3冊あって750円もするので、それぞれ何部いるかコピーですむか確認してから請求しないともったいないからね。
うちは住民票や印鑑証明や戸籍関係で6900円もかかってしまったよ。

保険証書や通帳なんかはわかるけど、年金証書なんてどこにあるのと家中、家探し。
諦めかけていたところに、あった、あったよ、なんでこんなリュックに漆器の木箱入れてカモフラージュしておくの! まだ独り暮らししていた頃に1度見せてくれたのを思い出してよかった。
しかし、この家の中、どうやって片付けようかとふと不安になる。。

昨日は朝からギフトの人を呼んで香典返しを注文し、(住所リストはダンナ担当)
お世話になった施設で「生計同一関係に関する申立書」の第3者欄にサインをもらい、(何のこっちゃでしょ?) その足で年金事務所へ。
おしゃれなキャリアウーマン風のお姉さんが窓口で対応してくれ、無事終了。

午後は市役所へ出向いて、未支給年金や葬祭費請求(2万円だけ返してくれるそうで)、高額介護サービス費申請など3カ所を回り、三越で法事みやげの京菓子を売場の人と相談してオリジナルの詰め合わせで注文。
さらに、帰り道に改良区へお墓の名義変更届を提出して疲れたび~!

銀行関係は、やっぱり最後は相続人本人じゃないとダメとのことで、後日ダンナと同行する予定です。
法事の会食予定のお店にも直接行って段取りしたし、お花も黒豆ごはんも注文したし、なんとか目先のことは一段落。あと、じーさまの確定申告が残ってるし、相続の手続きも面倒そうだ。

一人っ子は全部自分でしなきゃならないけど、兄弟夫婦への気遣いとか遠慮とかイライラとかないので楽なところもある。
親がいなくなった今、もはやダンナと私は同士。兄弟みたいな気持ちで支え合ってる感じ。
色気も何もないなぁ~(笑)

大事な証書や通帳や覚書は1カ所にまとめて、亡くなってから3回忌くらいまでのいろんなことはちゃんとノートに記録しておかないといけないなと痛感してます。




大体、このバタバタしている正月早々、iPhone7なんかに乗り換えたのがいけなかった。
乗り換えにあたって下調べするのがあと2日早かったら間に合ったのに、(前もって下準備がいることを知らなかった)
さぁ他社で新しいのに替えました。嬉しそうにその場で元の携帯は初期化して下取りへ・・
IDとかアドレスも適当に変更して、あーしてこーするうちに、あれ?あれ?あれれ???
LINEからお友だちが消えてる・・! どうして?!

住所録は無事だというのに、しまった。 
急いでみんなにメールしたけど、誰からも音沙汰ない。これってホントに送れているの?

そんな折に不幸があって、こんな時送らなきゃ意味がないというタイミングにLINEが使えない!
まったく、機種変さえしなければと思っても後の祭り。
なぜかショートメールも送れない人が多くて、わからないことばかり。

妹に聞いたら、メールアドレスを変えた場合、相手が登録してないとメールも受け取れなくなるんだそうだ。だから誰からも返信がなかったわけだ。
電話番号が一緒というだけでは、なかなか警戒して私だと認識してもらえないらしい。
そのうち、「ふるふる機能」というものを知り、試しに駆けつけた娘のダンナさんとふるふる・・
やった!これは簡単。直接会えるなら、ふるふるが一番簡単ね。

お通夜には、実家からわざわざ妹と弟が(珍しい組み合わせ!)悪天候の中、半日以上も車走らせて来てくれたというのに、ふるふるすることをすっかり忘れてサヨナラしてしまった。ああ、バカな私・・
まぁ、あんなにいちどきに大勢の参列者と挨拶したりしてたら忘れても仕方ないか。
通夜の席で主催者が携帯出してふるふるするのも変だしね。

さっき、妹のID検索したら無事開通できて一安心!
私もLINEのID作っておかねばいけませんな。ああ、この世はIDだらけになるのかな。
その他のLINE友だちの皆さん、決してあなたが嫌いで退出したわけではありません。
この場をお借りして、不手際をお詫び申し上げます。消えた女よりー





じーさまが亡くなって10日が過ぎた。
枕花とぼんぼりと盛りかごに囲まれた祭壇の上の写真はまぎれもなくじーさまだけど、もう面会に行くこともないのかと思うと変な気持ちだ。

正月2日には親戚の集まりにも連れ出すことができた。
でも、10月の法事の時とは比べものにならないくらい、口にしたものを飲みこむことができなくなっていた。
田作り2つ、まぐろのお刺身2切れ、おいなりのご飯を一口、黒豆のつぶしたのを何とか食べれた程度。
1日900mlと厳しい水分制限をつけられていたけどビールをせがまれ、ほんの一口注いだら、むせながら必死で飲んでいた。
現役時代は毎晩の接待でただ酒ざんまいだったじーさまの人生最後のビールになった。

数日後、3歳上の京都のおじさんの訃報が入り、理由は言わずに「ちょっと2日だけ来れないから」と、親戚8人と2台の車で京都へ急いだ。
おじさんの遺影がまるでじーさまとそっくりで、何度見てもドキッとした。
去年9月に会いに行った頃が一番元気だったそうで、あの時思いきって連れていってよかったと心底思った。

危篤になる前日、なにやらボソボソとしゃべるので聞き返すと、「わしは何もかも知ってるぞ。兄貴、死んだろ?」とはっきり聞き取れて一瞬、ビビった。
親戚から「おじさんが死んだことは黙っていた方がいい」と言われていたのでうやむやにしたけど、さすがじーさま、この期に及んでカンが鋭い。
「90過ぎたら生きていたってしようがない」とか、「看護婦はわしを病人扱いする」とか、「ここを出て家に帰る」とか、その日はいつになくよくしゃべって「疲れた寝る」というので帰った。

ボケていれば、自分の死が近づいていることもわからないまま終わるかもしれないけど、
最後まではっきりしていれば、いろんなことを感じて察して考えてしまうのだろう。
時々はぼんやりしていても大半はわかっているから、最後の最後まで、与えられる酸素を痛々しいくらい、大きくしっかり吸って、吐いて、を繰り返した。
言葉をかけられたらこっくりうなずいて、最後にちゃんとおじさんが亡くなったこと伝えた時は「うー」と声をあげ、孫たちが帰ってきて声をかけた時もわかっていたし、
2日半の間、何も食べず、薬も飲めず、点滴もできないのに、ただただ、強まった酸素量をしっかり吸って吐いて命をつないでいた。
もう頑張らんでいいから。
でも、この精神力・忍耐力があるからここまで長生きできたんだなと思った。
危篤状態の2日間、じーさまの部屋で寝泊りしてほとんど徹夜状態。
でも、みんなに囲まれて、スタッフの人たちもよくしてくれて、最後は静かに吸って、吐いて、コトッと終わった。40度の熱が続いていたので、いつまでもその体は熱かった。
「ああ、お疲れさまでした」と、ホント、そんな感じでした。

昔のアルバムから写真を選んでDVDを作ってもらったり、
お棺に娘が折った折り鶴や家族4人で寄せ書きしたじーさまの似顔絵の色紙を入れたり、とても心のこもったお見送りができました。
こっちは写真とコメントを提供するだけだけど、また泣ける曲にのせてうまく編集してくれるものだから、みんな感動してくれた。

ここらの葬式は都会と違って、納棺から始まって1日仕事。
翌日は納骨とまた親戚にお昼をふるまって「やれやれ」と思ったのもつかの間、
「ちょっと、今度は○○おばさんが亡くなって、明日お通夜だって!」と電話が・・!
年は皆、95,92,93と長寿を全うしたから仕方ないけど、2週間のうちに3回もお通夜と葬式のフルコースに出たのは初めて。
今頃、天国はにぎやかだろうな・・




元旦からいい予感
元旦からいい予感
あけましておめでとうございます!
無事、じーさまも年越しができました。(ホッ!)
心の準備はしつつ、できるだけ自然に過ごそうと思います。

年賀状も31日になんとか投函し、さて何日に届くのかな?
友だちの1人は、熊本地震のせいで家に住めなくなって住所が変わっていた。
震源地に近いところだったので、7階はさぞ揺れたことだろう。
みんなそれぞれ大変な思いをしたんだろうな。今年はどこも揺れない年でありますように!

9月から続いていた娘と孫たちとの生活も、本日昼過ぎにようやく終了。
つわりの期間も加えると、去年の半分は一緒に生活していたことになる。

チャイルドシートが2つ並んだ車に山のような荷物を積んで、婿殿の実家経由で帰っていった。
まぁ、またすぐ何だかんだと理由つけて帰ってくるだろうけど、この解放感といったら・・!!

やんちゃ盛りのイヤイヤ期まっただ中のKちゃん、寝ている妹の顔をパシッとたたいたり、自分に注目してほしくてコップの水を所かまわずこぼし、携帯やリモコンを床に投げたり、いつも叱られて「ばーば」と泣いて甘えてくる。
片方が寝たら片方が起きるし、最近は赤ちゃんまでぐずりっぱなしで娘もぐったりイライラ。
そんな孫たちとイラつく娘の世話と家事に加えてじーさまのこともあり、私もかなり限界が来ていたのよね。
それから、七五三、お宮参り(共にこちらで双方のじじばばも参加)次は3月の初節句ってことで、年末にはひな人形を選びに行ったり、とにかく体力もお金もギリギリまで絞り出した毎日でした。
でもこれも、孫がいるからできる貴重な経験なんだろうな~

送り出してからお天気もよかったので「伊予十三仏」の新春すごろく参りに出かけた。
三が日の間、1枚刷りのカレンダー(無料)や納経帳に13のお寺の納経所で判(300円)をついてもらったら、16面の賽を転がす福引ができるのです。
いつもはくじ運のない私なのに、なんということでしょう!
4つのお寺で2回ずつ計8回転がしたら、7回も「当たり」そのうち1回は「大当たり」!
最後だけ意識してしまってはずれたけど、こんなに1日のうちに何度も当たったのって生まれて初めてで気持ちよかった。
まぁ、景品は各お寺とも100均で買えるようなメモやタオルや干支の置物だったけど、大当たりの景品は、トートバックに靴下・手袋・クックウエアと嬉しい実用品。

「お前、こんなところで運を使い果たすなよ」とダンナに言われたけど、いや~嬉しかった! 
新年早々、縁起がいいわ。今年も頑張るぞー!

ってことで、みなさま、今年もよろしくお願いします。





孫の誕生に七五三、お宮参りと、次から次におめでたいことが続いて今年も終わりかと思いきや、じーさまの容体が急に悪くなって、まだまだ今年は終わりそうもありません。

急に悪くなったというより、改めて徐々に悪くなってることに気づいたと言った方が正解か・・
血液検査の結果、生きてるのが不思議なほどの数値が出たのでわかったのです。

90年以上も酷使した心臓だから弱るのは確かで、よく聞く「心不全」という病名。
再検査で病院に連れて行ったときは血液や水分の循環がうまくいかずに、体中に水がたまっている状態で、特に両足のふくらはぎから足首はパンパンに張っていて・・
それでも本人は何も痛いところはないし、食欲もあるからと自覚症状はない感じ。

とりあえず利尿剤を処方してもらい、おしっこで水分が出たら大丈夫だと思っていたのんきな私。

翌日、施設のかかりつけの先生から検査結果の説明と今後の方針の話し合いをしたいと呼ばれて行くと、「老衰の末期で、いつ心臓が止まるかわからない状態」と言われてしまった。
老衰の末期って何・・? 
聞けば心不全の場合、最後まで食欲はあるそうで、もし食べれなくなっても点滴は心臓に負担がかかるからできないそうだ。
そういえば、半年前くらいから声が急に小さくなって、なかなか聞き取りにくくなった。
好きなアンパン食べてる時も、肩で息をするようになっていた。
介護士さんの話では、食事は以前は1人でゆっくり1時間で食べれたけれど、今は1時間半以上かかって、途中で食べるのに疲れてボーッとしていることもあるとか。

入院するなら紹介するけど、このまま施設で看取りをするつもりなら酸素吸入と痛み止めの処置しかできないので同意書を書いてほしいということだった。

一人っ子のダンナに話すとさすがにショックだったみたい。
でも、病院に入れてベッドに縛り付けてチューブを入れるような最期は可哀そうだからと、このまま施設でお世話になることにした。

翌々日の朝、施設の看護師さんから「呼吸が苦しそうなので酸素ボンベしますが、いつどうなるかわからないので午後からでも来てください」と言われ、さあ大変!
あわてて様子見に行くと、ダンナの親戚がたくさん来てくれて、
翌日には九州に出張中の息子も呼び戻し、娘と息子を見舞いに行かせている間、車の中で孫の世話。
その足で、子どもたちの喪服も買いに行き、さぁ年賀状はどうする? このまま年は越せるのか? 
段取りマンのダンナは、棺桶に入れる品物のリストまで作成し、「今のうちに揃えてチェックしろよ」とうるさい。

私は今ひとつ実感が湧かないんだけど・・

あれから1週間。
息子は再び仕事へ戻り、じーさまは利尿剤が効いて体中から水が抜け、足のむくみもとれて3キロも体重減。
アンパンは相変わらず欲しがるし、先日は散髪してスッキリした顔していたし、
とても年が越せない状態には思えない。
たぶん、次のヤマ場までの小康状態だと思うけど、このまま年が明けて92歳の誕生日を迎えられるような・・

もう今年もあと3日。年賀状もそろそろ手につけないとまずいよね?

休職して半年たち、仕事のことも会社のことも遠く感じられるようになっていた今、
わざわざ夜出て行ってみんなと会うのはあまり気が進まなかったけど・・

辞めることになったのが、なんとあの(因縁の)A子さんとあれば無視もできず、招かれるまま送別会に行ってきた。

会社の人間関係って、時がたち、中にいる顔ぶれが変わると共に、微妙にそれぞれの立ち位置が変わってしまうものなんだなと改めて思った。

いまだに詳しい真相はわからないけど、私が抜けた後、いつもの調子で彼女がみんなに注意してまとめようとしたら、思わぬ反発を受けていつの間にか孤立してしまったというのが大体のあらすじのようだ。
というより、新人さんたちがテキパキと彼女以上に仕事をさばいているのに、文句ばかり言われて腹が立ったのが本当の理由かもしれない。

その顛末は、彼女が何度も私にメールをくれたので知ったわけだけど、何て言ったらいいのか返事に困るような内容で、他の子の言動は全てかつて彼女が私にしていたことと全く同じ。

なんかね~ 家にいるのに今さら会社のもめごとに頭突っ込む気も起こらず。
かといって、「あんたも同じことしてたじゃない」なんて言えないし、
最後は返信しないままほっといたら、ある夜、直接うちにやって来て、「会社辞めることにした」って。

まぁ、久しぶりにみんなと会って何しゃべろうか?なんて心配は全くなく、
楽しく飲み会ができたのだけど、彼女も自分で墓穴を掘ったのかな。

ターゲットにされて会社を去った人3人!
本人が相手にしないと、親やご主人に抗議の手紙を送りつけたり文句を言いに乗り込んだり、なんでそこまで相手に非を認めさせたいのか、空恐ろしい人だった。
お気に入りの人とそうでない人と声色が全く違うし、彼女が打ち出したひとり言禁止令も意味がわからず息苦しいだけ…
最後までポーカーフェイスでいたけれど、やっぱり大きく傷ついたこと忘れられないし、正直、これからは彼女がいないと思うと気が軽くなる。

なんか、今年は色々あったな〜




近況いろいろ
ここんとこ日記の更新もままならず、ほぼ放置状態ですがなんとか暮らしています。
もうずっと前から足腰の調子が悪く、とうとう両ひざが悲鳴をあげてしまい、ソックスを履いたりお風呂の椅子に座るのも痛くてたまらなくなったので、
なんと、25年ぶりに近くの患者さんでいっぱいの整形外科に通っております。

いつも整体とか接骨院ですませていたから、最後に行ったのが平成3年!
あそこは混むからいつも敬遠してたとはいえ、4半世紀も前から行ってなかったとは・・
たまには、自分の骨の状態を確認しないとね。

レントゲンで見てもらったら、腰は第何関節と関節のすきまが狭くなっていて、
(あー それは2年前に階段踏み外してお尻を強打した時のやつだ!)
両ひざはお皿は大丈夫だったけど、軟骨がすり減っていて痛むのだそうだ。
夏に4日連続でLDKと玄関・廊下部分のワックスはがしをしたのが原因に違いない。
「それってキレイになります?」と看護師さんに聞かれ、
「ええ。途中でやめるわけにはいかないし、4本使いきって家はキレイになったけど、あれからひざの方がガタガタです」と答えた。
両ひざと腰に計8本も注射を打って、物療で電気・赤外線・レーザー照射。
おまけに、左足首がカクカクしているのでそこもレントゲン。
何度も転んではひねったからなぁ・・
普通は4度傾くのが5度傾いているそうで、テーピングと固定するためのサポーターをはめた。
2か月ほどで元に戻るそうだけど、テープ負けしてかゆいんだよね。

70、80まで生きようと思ったら、今からこんなことで下半身ガタガタしてちゃ始まらない。
ホント、しっかり治して今のうちに鍛えなおさなくては。


それから、娘の婿殿ですが、来年の春から職替えすることになりそうです。
普通、嫁さんが子供つれて長いこと里帰りして家を留守にしたら、遊んだり浮気に走ったりしそうなものなのに、彼は試験勉強を頑張って、なんと地元の県職員の試験に合格したそうなのです!
もう、どえらくビックリ。寝耳に水。
3年前に1度挑戦して失敗して、今回は最後の挑戦だと思ってチャレンジしたんだって。
これで、いつどこに飛ばされるかわからなくて、毎日残業残業で週末も仕事が入ったりで、趣味も楽しめないし、子どもの寝顔しか見れないような生活から脱出できる。
異動しても県内なら、家を建てても安心だしね。
公務員試験のむずかしさはよく知ってるから、それを努力で勝ち取って、一家を背負って人生切り開いていく姿はホント頑張り屋さん。尊敬するわ。
娘もいい人見つけたもんだ!



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