1泊もできずに帰った娘たち
お城に行った帰り道、それぞれ好きなケーキを買って、
夜、少し早めのクリスマスパーティーをした。
大好きなハンバーグとポテトサラダに、
お昼のエビフライや唐揚げもパクパク。

ところが、腎盂炎で入院したことがあるりーちゃんの
様子がちょっとおかしい。
お風呂で洗おうとしたら「痛いっ!」と言って洗わせてくれない。
娘がギョッとして「いつから痛いの?オシッコする時も痛いの?」と迫ると、
りーちゃんも「うん」とうなずくものの、はっきり説明できないでいる。
「なんで痛いってすぐ言わないで黙ってたの!また入院したいの?!」

いつから痛かったか聞いても、小さい子には2日以上前の記憶は曖昧だし、
問い詰められてうなずいただけかもしれないのに、完全にヒートアップ。

電話相談で「水分摂って、痛くてもオシッコ我慢させないように」と言われ、
その後1時間近く、トイレで大声で言い聞かせる娘、泣く孫、なだめる私・・

夜9時を回って、明日1番に救急に連れて行くためにトンボ帰りして行った。
夜のしまなみ海道は、外灯もなく真っ暗で、怖かったそうだ。

Kちゃんが1人で泊まるのは、妹の出産でママが入院した時以来。
しっかりダニ対策したフトンに私たちが川の字になって寝ることになった。
いや~さすが布団乾燥機! ポカポカ過ぎて、暑すぎたくらいだ。

翌日、お昼ごろKちゃんを送って行くと、りーちゃんはすっかり元気で
「もうオシッコ痛くないよ。ちゃんとできるよ」と聞いて一安心。
マクドナルドを食べて、公園でひとしきり遊んで今度は私たちがトンボ帰りする番だ。

Kちゃんが「今日、本屋さんで本買って!」とおねだりしてきたけど、
実はもう娘宅に発送済なので、「クリスマスに届くよ」と言っておいた。
「最強王図鑑」というのが人気で、図書館でも仲々借りられないんだって。
サンタのプレゼントとは別に、じーじ達からも貰えるから楽しみだね。

帰る時はりーちゃんべそかいていたけど、子育てって大変だ。
子どものことで、あれほど一生懸命に何とかしようと頑張る母親のパワー。

朝から運転して、城山登って、夜中に帰って、翌朝病院に走って・・
私もあの頃はそうだったけど、子育て世代は次から次から大変だ。
落ち着いたら今度こそ、ゆっくり泊まりにおいで!



歩いてお城に登ったら
歩いてお城に登ったら
歩いてお城に登ったら
先日、2年ぶりに娘と孫たちが里帰りして来た。
あいにく婿殿が急に土曜も仕事が入って来られなかったけど、
テーブルいっぱいに用意した天ぷら・唐揚げ・エビフライや煮物を
あれもこれもお皿に載せて、ぶっかけうどんと一緒に食べる 食べる 孫たち!
まぁ~元気でいいこと。大きくなるはずだわ(^^) 

「久しぶりに来たら道が狭くて、家の天井もなんか低くなったみたい」と娘。
家電も変わって、家の回りも変わったしね。

お昼ご飯でお腹いっぱいになって、家のおもちゃや折り紙で遊んだ後、
Kちゃんが松山城に行きたいというので、車で出かけた。
ロープウェー乗り場には人だかり(検温したり住所を書く人たちの行列)
待ちきれずに「歩いて登ろう」ということになり、リフトで上がる人を横目に
えっちらおっちら、坂道をりーちゃんと手を繋いで登って行った。
 
繁華街のすぐ近くなのに、登城道は黄色や赤の紅葉がまだ残っていて
木漏れ日がキラキラとてもきれい。
本丸広場まで132mある坂なので、途中で息切れ…
後半は「ずるい!リフトに乗って」と孫たちも文句を言っていた。

でも、黄色の紅葉も色鮮やかでいいものです。

「日本100名城に行こう」というお城のスタンプを集める本があって、
天守閣の手前でKちゃんが押してる横でも、その本を持っている人たちが。
でも、全国に散らばる名城を回るのは、かなりのお金と時間がかかりそうだな。
午後になって青空が広がり、お城がとても映えていた。
「帰りは下りだから、少しは楽だな」と思っていたら、
「下りは膝に来るからロープウェーに乗って帰ろう」とダンナ。
できれば上りに乗りたかったねと娘と顔を見合わせた。
まあ、途中の景色が良かったから良しとするか。




12月の庭先に
12月の庭先に
師走に入って何かとせわしい今日この頃です。
もうすぐ今年が終わるなんて、1年は早過ぎる。

今年の大きな変化は、ダンナが家に居るようになったこと。
軒先に吊るされた干し柿は、私よりマメで、
干し柿が大好きな我が家の主夫によるものです(^^)

これ、吊るして10日はたったと思うけど、だいぶ水分が抜けてきた。
焼酎をスプレーで時々吹きかけると、殺菌になって白くなりにくいそうで、お正月より前に食べ頃になりそうな予感。

息子がクリスマス前にまた帰って来ると聞いて、娘がブツブツ。
「エ~ッ!今年こそ、冬休みになったら帰ろうと思ってたのに・・」
子どもはワクチン打ってないので、帰郷したばかりの兄と会うのが怖いのだ。

「もう!1月に帰るなら、冬休みにわざわざ帰らなくたって・・」
「だけど、怒ってばかりも可哀そうだし、悲観して自殺されても困るしな」
「それもそうやね~」・・・とは、ダンナが娘に電話した時の会話だそうです。

2週間も間隔を置かなくても、1週間たった元旦あたりは大丈夫そうなものだけど、
息子が帰る前の、今度の週末に泊まりに来ることになった。
2年近く帰ってないから、下の子はもう覚えてないかもしれないな~

Kちゃんはダニアレルギーがあるようなので、しまいっぱなしの布団一式、
カバーからシーツからボアシーツ、毛布まで洗って干して乾かして。
嬉しいけど、何組もあると準備するのが大変だ! 
隣に家が建ってからベランダの日当たりが悪くなり、半日は日陰なので、
今まで不要だった布団乾燥機を買うことにした。これでダニ退治もOKだ。

木枯らしが吹く朝もあるというのに、枯れかけて植え替えていたダリアが花を咲かせた。
小さなひだまりに健気に咲く花たち。
今年も残りわずかだけど、頑張りましょう!




あれから1年
あれから1年
あれから1年
この表紙、自作のフォトアルバムにしては上出来でしょう?
写真をレイアウトしてデータを送ると、
1冊のアルバムに装丁してくれるマイブック。
娘の結婚式、孫の成長、旅行と、
マイブックを作るのが趣味のダンナです。
ちなみに題字を金色に提案したのは私(^^♪)

これも、たまたま壇上伽藍でこの場面に出会ったおかげです。
着いた途端に、金剛峯寺の方から色とりどりの袈裟を来たお坊さんたちが20数人も行列を作って現れて、こちらの方へ近づいてくるからビックリ。
回りの皆さん、知ってて集まっていたのかな?

大元帥大法と言って、皇室が変わった時や(令和元年には行なわれてない)
国家鎮護、外敵調伏のための(まさに外敵=コロナ)めったに行われない
重要な行事がたまたま始まったところだったのです。

高野山に来て、まさか1度にこんな大勢のお坊さんを見られるとは思わず、
これは紅葉を見るより、ありがたい出来事だったです。
おかげで、歩き疲れもみるみる治って上機嫌♪

逆打ち巡礼と満願成就の旅の記録をダンナが残した2冊の「マイブック」
中段の表紙は、木々の向こうに見える奥の院。
下の写真は、高野山の入口で西の端に立つ大門。ここだけは紅葉が残っていた。
ページをめくると、今でも鮮やかな光景がよみがえる。

高野山とは、標高800mの山上盆地に広がる町並み全体のことを言うそうだ。
金剛峯寺を中心としてお寺が117もあり、どのお寺も洗練されていい雰囲気。
どうしても、「奥の院」と「壇上伽藍」を見るだけで終わってしまうけど、
名もないお寺巡りを楽しんでいる老若男女が多いこと!
とても1日では廻りきれない、底知れない魅力のある聖地でした。




親子バトルの後は
急いで仕事から戻ると、息子のバイクがあった。
上京してから1年9カ月ぶりの再会。
東京港19:30発、徳島着翌13:20のフェリーで帰ったそうだ。
たしか入院して15キロ減ったと言っていたはずなのに、見事にリバウンド!
もうちょっとスマートな姿が見たかった、と思うのは贅沢かな?

この2、3日体調不良でムスッとしていたダンナも気を遣っているのか
「先に風呂に入って来いよ」と促す口調も妙に穏やかだ。
食卓の上には鍋の材料を切った野菜が大皿に盛られ、サラダも並んでいた。

入院時、退院時、最近の肺の3枚の画像を見せてもらったら、
真っ白い肺からぐっと黒い箇所が多くなり、一回り大きくなったようだ。
まだ若いから、なんとか肺も頑張ってくれて助かったんだな~

同じ本社の年配の方は、残念なことにエクモまでしたのに亡くなられたそうだ。
重症患者は、生活習慣病のあるような男性がほとんどだったらしい。
まだ、睡眠薬を飲んで寝ても、そう長くは眠れないらしいけど、
以前のような幻覚は見なくなり、味覚障害もなくてよかった。

正式ではないけど、もう会社には辞める意思は伝えたそうだ。
ギリギリまで休職して、正月明けには完全に引き上げるつもりのようだ。
親としてはここで辞めるのは勿体ないし、仕切り直して頑張って欲しいけど、
もう東京にも会社にも全く未練がなく、早く帰りたいんだって。

翌日はベランダでアンテナを父子でつけ替えたりして一見平和に見えたけど、
言いたいこと聞きたいことが満載のダンナが、夜、ついに爆発。

今いくら貯金があって、この先どうやっていくつもりだ?
補助金が下りるなら、何も実家を頼らず自活すればいいじゃないか。
大体、ちゃんと卒業できるのか。就職先はあるのか。食っていけるのか。
1月に帰るのに、年末にまたわざわざ何しに帰ってくるのか。

と、親父の態度が急変して、「そもそも家に戻るのは反対だ」と言われて
息子も戸惑いながら説明を始めた。

「年内に今ある古い家具を全部処分して、年明けの引越しに備えるんだって」
と私も横から助け舟を出すと、いつ何と何を処分するかの話に移り・・

今日はそんな2人を置いて仕事に出たけど、帰ってみるといい雰囲気。
注文していたリビングの照明器具が届いて、2人で取り付けたんですと。
「今日はあいつも頑張ってくれた」とダンナの機嫌は戻っていた。
まぁ、親子だからね。「わしは甘いの~」と自分を納得させていたけど。
ぶつかる時はぶつかって、ちゃんと言い合ったからスッキリしたのかも。

そう言えば、今日は40回目の結婚記念日でしたわ


※上の写真は、富士山の近くまでツーリングに行った時送ってくれたもの。
富士山の雪の白さと青空のブルーがとても印象的で気に入ってます





待っていた連絡
待っていた連絡
急に「あいつは生きてるんか?」とダンナがつぶやいた。

「生きてるでしょ」と携帯に手を伸ばすと同時にLINEが入った。

「今週の土曜日にバイク置きに帰ります。構いませんか?」
 息子からだった。

「ちょっと、今、LINEが来たよ!」

「気持ち悪~ 何か繋がってるんだな。いいよと返事しろよ」 (ホッ!)

結局、土曜日はフェリーが満席で、金曜日の夕方帰って来ることになった。

「まぁ帰るんなら、いつでもいいが。晩ご飯作って待ってると返事してやれよ」

「何が食べたいか、何でも食べれるのか聞いとけよ」

「買い物はしといてやるから、材料何がいるか書いとけよ」

なのに、「お前が相手しろよ。俺は黙っとくから」と相変わらずだ。
でも、顔を見れば、きっとあれこれ話し出すに違いない。

バイクで冷えるからか、水炊きとか鍋がいいと返信があった。

金曜に帰るなら、土曜日早々2人をほっといて仕事に行くわけにいかない。
なので、早速みんなに事情を話して有休取って休むことにした。

「土日の間になんとか仲を修復させて、月曜日は出るからゴメンね」

みんな「どの家もそれぞれあるよね~」と話が盛り上がった。

それにしても、よかった~ やっと連絡が来た。
ホントに待っていたのよ、何日に帰るっていう連絡を。
9月に1度帰るって連絡があったのに、「帰って来るな」と拒否したあの日。

間に立った私が、もう少し言い方を工夫すれば、こじれずに済んだかもしれない。
あの日のリベンジがようやくできる。

やっぱり、顔を見てしゃべらないと。メールの文章は誤解を生みやすい。
特に、心身衰弱した時に言ったことやメールをまともに受けちゃ駄目だよね。

とにかく、こんな状況で実家に帰って来るのは勇気がいることだろう。
 
やっと一歩を踏み出してくれた息子にホッとしている。








三原浮城まつり
三原浮城まつり
三原浮城まつり
紅葉狩りの翌日は、朝から快晴。
この日は三原の浮城まつりがあったので見に行った。

永禄10年(1567年)毛利元就の三男、小早川隆景によって建てられた三原城。
島をつないだ埋立地に建てられ、満潮時には海に浮かぶように見えたので浮城と呼ばれるようになったそうだ。
今は天主台と舟入櫓の一部しか残ってないが、
当時は本丸から三之丸まであり
櫓(やぐら)が32と城門が14もある大きな城だったらしい。
今の広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広い天主台で石垣も立派だ。
一体、どんなお城だったのか、想像が膨らむ。

小早川甲冑部隊の武者行列が、隆景広場に集結していた。
「戦争とかで天守閣が燃えたの?」
「実は、新幹線を通すために壊してしまったんですよ」と婿殿。

なんとビックリ。
天下の要塞だった天守閣と、経済を支える山陽本線との2択だったとは。
確かに港のすぐ前に駅があり、駅から天主台公園は直結しているそうだ。
新幹線の高架下の通路のすぐ横に石垣があって、なんか不思議だった。

Kちゃんが行列の中に「あ、市長と〇〇がいる」と声を上げた。
小1の博士ちゃんの今度の興味は、なんと選挙!
衆院選で当選した議員さんの顔とフルネームまで覚えていたのだ。
「ばーば、何党に入れた?自民党?立憲民主党?」と聞かれてタジタジ。
今度の知事選の掲示板に、候補者のポスターが1枚増えたことにも気付くほど。

この前は、温帯低気圧とか天気予報士になれるかと思うくらい気象の話をしたり
「コロナの新規感染者、そっちは昨日何人だった?」とか聞かれるし、
大人の話すこと、ニュースに天気予報、全てに興味深々なのだ。

だから「この子の前では滅多なこと言わないで」と娘から釘を刺されている。
私たちが遊びに行くことも、前日まで黙っているそうだ。(学校で言いふらすから)
もちろん、にーにがコロナになったなんて、口が裂けても言えないのだ。

お祭りのイベントで、港では海上保安庁の巡視船も見学できた。
紙で作った帽子をもらい、制服着せてもらって敬礼して写真撮ったり、
船の中では、救命ボートの説明や、操縦室では自由に座って見学。
今頃、海上保安庁の本でも借りて、かじりついていたりして。
子供って、未来がいっぱいあっていいな~




リベンジの紅葉狩り
リベンジの紅葉狩り
リベンジの紅葉狩り
1週間前のこと。
週末に雨が降る予報だったので、”晴れろ晴れろ”と願掛けしていたら、
何とかお天気が日曜日の夕方までもってくれて、
娘たちと、先月も行った三景園へ紅葉狩りに行って来ました。

きれいな紅葉を見る頃合いが難しくて、毎年早すぎたり、遅すぎたり。
四国は温暖なので11月下旬だし、本州の標高が高い所は早めだし・・
去年の高野山は完全に行き遅れ、すでに散った後でまじショックだった。

来週くらいが最も見頃だろうけど、孫娘の5歳の誕生日のお祝いもあり
モミジ祭りが始まってすぐに行くことにしたのです。
りーちゃん生まれてもう5年もたったのか。早いな~

わ~ひと月前と風景が違ってる!
赤やオレンジのグラデーションが、周りの緑と相まって水面に映えてきれいだ。
これが青空だったらもっと映えただろうに、ちょっと残念。

それにしてもいい季節です。
木々の紅葉は、秋の贈り物。
孫の家のすぐ近くの公園に行くと、どんぐりがコロコロ転がってて。
見ると大きなクヌギの木に、どんぐりの実がいっぱい。
どんぐり公園と呼ばれているんですって。
色とりどりの落ち葉でデコレーションして遊んでいるのをパチリ。

先月からこの日のために歩いて鍛えていたので自分では元気なはずだったのに、
婿殿が、毎回会うたびに具合悪そうにしているから身体を心配していたよと
後で娘に言われてビックリした。
え?そんな風に見えていたなんて、ちょっと反省。
そりゃあ、孫が生まれた頃から比べたら、だいぶ年取ったし、老けたのかもね。
もっと頑張って歩いて、少しでも痩せたら若く見えるようになるかな。




息子のその後・・
先日、整体に行った時のこと。
「そう言えば息子さん、どうなりました?」と、腰を揉まれながら聞かれた。
「ああ、おかげ様で無事、退院できました」
「よかったですね~ あれからずっと気になってたんですよ」

前回ここに来たのは、息子が重症化してICUに入り、人工呼吸器かエクモかと言う時だった。
事態の深刻さに、気もそぞろで、こっちまで立っていられない程だったけど、
お店の人に話したら、ずいぶん心が軽くなったものだ。

「他のお客さんもその話を聞いて、どうなったのか心配してましたよ」
「それが退院はしたけど、いまだに会社休んでいて、後遺症も大変ですよ」

実は、一時、気まずくなってから、ロクに連絡とっていないのです。

9月いっぱいでは体調も戻らず、10月末まで休職することになり、
10月中に1度、バイクを置きに帰って来るはずだったのに、何の音沙汰もなし。
どうも歩きすぎて足を痛め、寒くて風邪ひいて、まだバイクにも乗れてないそうで。
11月も休職させてもらうよう、主治医に診断書書いてもらったとのこと。
近々、バイクに乗る練習をしてから、天気と相談して帰ってくるつもりなんだって。

あーあ、いつまでグズグズしてるのだろう。
とりあえず復帰してから様子を見たらいいのに。と、歯がゆい気分。
でも、コロナになった人しか分からない後遺症の辛さはあるだろうし、
それで余計に落ち込んだらキツイだろうな。

親は老体にムチ打って、テニス肘に注射打ってでも、仕事してるのに。
いい年の若いもんが、しゃんしゃん頑張らんと!!と言いたいのはヤマヤマだけど。

息子の新たな今後の構想を話したら、彼女もOLを辞めて、学校に入って資格をとり、
子どもの出産・育児と並行しながら、自分でお店持って頑張っている人なので、
自営業の厳しさを切々と語ってくれた。

1度嫌になって辞めたいと思ったら、別の道がキラキラ光って見えるけど、
現実は厳しくて、自営業は、お客さんが入らなかったら1円も入ってこない。
サラリーマンくらい会社に守られている職業はないって。
息子の会社なんて、休職中も全額支給。(うちの会社は何も出ない)

とにかく、自己アピール力がある人でないと厳しいと言われた。
脱サラして、農業を始めたり、会社やお店を始めたりする人たちも多いけど、
皆、そんな決意をして頑張るんだろうな。

果たしてどうなることか。
とにかく、1度、息子と実際会っていろいろ話したいものです。







エアドッグとテニス肘
エアドッグとテニス肘
秋本番。寒くなりましたね~
先週の日曜にホットカーペットを出して、扇風機も洗ってしまって冬支度。
急に寒くなったので、衣替えもこれから。着るものに困るわ~
朝は寒くても、日中の気温が上がるから、寒暖差に参ってしまいます。

ところで、空気清浄機も古くなると気になるのが、加湿時のあの嫌なニオイ。
フィルター替えても、給水のたびに洗っても、シツコク臭う。
せっかく加湿してるのに、余計に部屋がくさくなるのはどうしたものか。
何年も我慢していたけど、今回、思い切ってエアドッグに買い替えたのです。

ダンナが欲しがっていて、いくら性能が良くてもちょっと手が出ないお値段。
でも、新発売のコンパクトな日本版X3s、タイムセールで加湿器と合わせても10万以内に収まった。
超音波の加湿器を近くに置くと誤作動するというので、リビングの両端に離して置いてみてる。
場所いらず、フィルター交換いらずというけど、果たして使い勝手はどんなものか、
こまめにお手入れして体感してみようと思います。
これで、この冬の室内はウイルスなし、ニオイなしで、快適間違いなしだわ^^


10日ほど張りきって夜の散歩をしていたけど、疲れがたまって小休止してます。
月末は仕事で目も頭も疲れ、右ひじまで痛み出して、右手を使うたびにズキズキ!
帰ってからパソコンに向かう気にもなれなかった。←重症。

整形で診てもらったら、テニス肘(上腕骨外側上顆炎)と言われまして、
中年以降のテニス愛好者に多くて、一般的にも年齢と共に腱が痛んで発症するとか。

テニスはしないけど、日頃から、入力作業やハンコつきで手首を酷使しているし、
暇さえあれば、ポケモンのバトルでバンバン指で携帯画面を連打する毎日(爆)
テニス肘用バンドというのがあるそうで、肘より手前に装着していると、
振動が肘まで行かないので、3日ほどで自然と治るらしい。
「バンドにしますか? 注射にしますか?」と聞かれ、即答。
3日も待てないから、注射をしてもらって痛みが治った。(^0^)

久しぶりに整体に行けば、左の腰骨がすごく歪んでいると言われ、
骨はゆがむし、ケンだの、スジだの、神経だの、あっちもこっちも嫌になる!

身体のケアもしたことだし、また仕切り直しで散歩を再開しないと。
あれしき歩いたくらいで落ちるもんじゃありませんから。
少しは成果が欲しいもの。

ずいぶん、日暮れが早くなりました。あっという間に真っ暗。




14番目の月
昨日が十三夜で、明日が十五夜ならば、今宵は14番目の月!
知ってる人は知っている、ユーミンの荒井由実時代の名曲です。

あなたの気持ちが読みきれないもどかしさ だからときめくの
 愛の告白をしたら最後その途端 終わりがみえる

遥か昔の(1976年リリース)高校生の頃にラジオで流れていて、
カセットテープに録音して擦り切れるまで聞いた明るくてワクワクする曲。

最近の方がアレンジがノリノリ!
      ↓
https://www.youtube.com/watch?v=I715lzUhYSg

友だちでお互い惹かれ合ってる関係が、1番ドキドキして楽しい時。
片思い、未然形の恋、恋愛真っ最中、そして大人になってもときめく歌。

ユーミンはそんな恋する気持ちを表現するのがうまいし、いつも新しい。
あの当時からずーっと時代の先端を走って、今でも第一線で歌っているし、
曲のアレンジもどんどんヒートアップして、ホントすごい人だ。 

夜の散歩を始めた途端に、あれよあれよと寒くなってしまいました。
初日は半そでだったのに、今では長袖にパーカー。
時折、雲が邪魔するけど、今夜はわりかし顔を出してくれました。

♬ 次の夜から欠ける満月より 14番目の月が好き 

そう、形がもっとま~るくなっていく方が楽しみだものね。
3日間、ずっと月を見てたけど、14番目の月が1番きれいに見えました。

好きなベスト5は他に、
 中央フリーウェイ  卒業写真  12月の雨  ベルベットイースター
ほかにも盛りだくさん。ユーミン万歳!\(^o^)/
 



夜のお散歩
夜のお散歩
夜のお散歩
10月1日に衣替えなんて、いつまでの頃の話だろうか。
確かに昔は、合服のブラウスがちょうどよかった気がする。

衣替えもまだで、クーラーつけて、大体マスクが鬱陶しい。
昼間はまだ30度近くだけど、朝夜は涼しくなってきた。
日暮れがぐっと早くなり、追い立てられるような気分。

3日前から、ようやく重い腰を上げて夜の散歩を始めたのです。
健康診断であちこち赤信号が点滅してるのに、
暑いだの、シンドイだのと放置してたけど、
「この涼しい時に歩かないでどうするの!」と喝を入れ。
少しでも運動してブヨブヨお肉を絞らないと、
このまま冬を迎えるのが怖い。

いつもの夜の散歩コースは、片道20分の所にある中央公園。
ハロウィンまであと2週間とあって、午後7時前なのにこの暗さだ。

ふと立ち止まって、空に光る半月を撮ってみた。
月の形はぼやけてるけど、空や街灯や舗道の色がすっごくいい感じ。
まるで絵本の中のような色味で、全然別の道を歩いているみたい。

気分いいので、そのまま橋を渡ってスタジアムまで足を伸ばすと、
木で作られた武道館もライトアップされて、とてもオシャレな建物に見える。
木々の向こうのテニスコートでは、ボールの音と人々の歓声が響いている。
みんな元気だな~!

ここまで歩くと、半そでシャツでも額から汗が出て、マスクの中が暑苦しい。
誰かとすれ違う時だけつければいいので、外して歩いた。
どんどん調子づいて進むのはいいけど、その分帰りも歩くことになる。

結局、1時間半くらいかかってしまって、家人に心配されてしまった。
(ダンナは昼間運動しているからと、夜は散歩したがらないのです)
脚がパンパン。でも、いい感じだ。いつまで続けたら締まってくるかな?

若い頃は、少し歩けばすぐに体重が落ちてやる気も出たけど、
この近年、代謝が落ちてちょっとやそっとじゃビクともしない(涙)

やらないよりはましだと思って、あまり無理せず、気長に行こう!





風に揺れるコスモス
風に揺れるコスモス
風に揺れるコスモス
いつも通る道端に咲くコスモス。
でも、車道のすぐ脇なので原付で走りながらカメラを向けるわけにもいかず、
そのうち背丈まで伸びて、ピンクや赤、白、オレンジと咲き揃ってきた。

それならと、帰り道に舗道で道草して、何回か撮るけどなかなか難しい。
秋風に揺れて、あっち向いてホイ、こっち向いてホイ。

コスモスは勝手気ままに、好きな方向に咲いているし、
曇って空の色がイマイチだったり、背が高過ぎてなかなかうまく撮れない。
それに人の目も気になるし、コスモスの草影に身を隠して完全に怪しい( ̄∇ ̄;)

ピンクのコスモスの中に、1株だけ珍しい縁ありのを見つけました!
以前、アガパンサスが咲いていた同じ場所。
季節によって花を植えてお世話してくれる人に感謝しなくてはね。

あっという間に10月。秋祭りは今年も中止。
運動会の見学は、両親に限るとか、中には各家庭に1人だけとか。
夫婦で見に行ったのに、父親は締め出されたと怒っていた人がいた。
そこまで限定しなくても・・ 
配信もしてくれなかったと残念そうだった。

この分では、すぐに年末が来て、年が明けそうだ。
毎日を大事に過ごさなくては。でないと5年、10年すぐに過ぎていく。
記憶なんてすぐになくなるから、心に残った出来事や、思い出の景色は記録として残していこう。

どうか明日もいい日になりますように!



※gooブログへの引越しがだいぶ進んで、あと少し。といっても、ここは当分安泰みたいですね。
文字も大きく、写真も見映えがして気に入ってます。よかったら、見に来て下さいね~
 
 https://blog.goo.ne.jp/pirotamago




孫ちゃんの運動会
孫ちゃんの運動会
孫ちゃんの運動会
2年ぶりに幼稚園の運動会に行ってきました♬

コロナ対策で、去年の行事はず~っと我慢だったので、
前日夕方5時にタイムカードを押し、バイクで最速11分で帰宅。
お風呂に入って夕食、5時55分に出発、8時過ぎに娘宅に到着!
この時点で疲れもピークだったけど、そうも言っていられない。

すでにKちゃんは卒園し、今年は早、りーちゃんが年中さん。
学年別に時間制で行われるので、朝1番に始まって5種目。
体操、かけっこ、玉入れ、障害走にダンスと1時間のうちに大忙し!

婿殿の両親も駆けつけて、ズラッと並んでカメラを向けるものだから、
りーちゃん恥ずかしいのか、全然こっちを向いてくれなくて。
Kちゃんは、久しぶりに友だちと再会して楽しそうに一緒に遊んでいた。

スタートダッシュのお兄ちゃんと違って、かけっこはのんびり屋さん。
「あの走り方、誰に似たんだろ」とリレーにも出ていた娘が言ってる横で、
「あらら、隔世遺伝だわ・・」と心の中で呟いていた私・・

でも障害走では、前の子がもたついている間にサッと前に進んでエライぞ!
学年別だったので混んでなかったし、ギュッと凝縮されて見る方は楽だった。
運動会のご褒美に、ドラえもんの金メダルをもらって大喜び♪ 
キラキラ光るメダルとか、子供たち大好きだもんね。

日焼けして運動量も増えたからか、顔が小顔になって可愛らしくなって、
滑舌も少しましになって、より、おしゃべりになっていた。

あちらの両親も相変わらずで、娘宅でお茶しながら近況を語り合い、
奇遇にも、去年お互い別々に回った88箇所のアルバムを開いて思い出話。

「夫婦でお遍路できるだけ、なんとか仲はいいってことでしょうかね」
「ですよね、健康で、旅行できるゆとりがあるんだから幸せなことですよ」
本州から8回か9回も橋を往復して回ったんだから、うちより大変だっただろう。
橋の通行料を安くあげて、狭い道も離合しやすいように”軽”で回ったそうだ。

翌日は、空港近くの三景園へドライブ。
花の季節は終わっていたけど、11月には見事な紅葉が見られそうなので、
これは是非、もう1度見に来なくては!
広い園内の池には色とりどりの鯉が泳ぎ、エサをやるとすごい勢いで集まり
孫ちゃんたち大喜びだった。

しかし、普段が静かに2人でいるのに慣れているので、
孫たちのエネルギーがずっとこちらに向けられるのには参りました。
おかしいな~ 前はこんなことなかったのに。
コロナで1年以上会わないでいたので、適応障害起こしたのかしらん。
これからは、ちょくちょく会えたらいいな(^ー^)





当たるも字画 当たらぬも運勢
娘と話をして以来、なんだか気になって、息子の姓名判断ばかり見ている。
天格から凶なのは、先祖代々の姓なので変えようがないが、
地格も外格も凶だなんて、ちゃんと調べなかったことを悔いてしまう。
(こんなに携帯で気軽に姓名判断できる時代なら苦労はしない)
右のイラストは、画数は違えどよく似ているフリーの画像をお借りしました。

でも、総画の29画は特殊格で、男性にとっては大吉数だそうだ。
生真面目で融通がきかず、独断で次々と行動して損をすることもあるが、
人並み以上の才能と感性、思いやりの優しい性格を持ち、助けてくれる人もいる吉数。
金運、財運、健康運に恵まれ、努力を惜しまなければ、豊かな晩年になるとか。

ただ、成功までに波乱が多いとあるけど、
高2の時、原因不明の熱で長いこと入院したり、
バイクの事故に3回も遭い、宿舎が火事になり、借家が豪雨で床上浸水になり、
引越したアパートの天井から上の階の風呂の水が溢れて落ちてきて水びたし。
あげくの果てに、コロナに感染して薬も合わず、死ぬ思いをしてー
ちょっと20代からずっと波乱があり過ぎのような・・!?

仮にもし、改名するならどんな字がいいんだろう?
読み方は変えたくないし、唯一大吉の「人格」は15画でバッチリ
人格とは、姓字の下の字と名前の上の字を合わせた画数で『人徳・出世・順調』
安らぎを人に与える人生だそうだ。この運だけで今まで生きて来れたのかもね。

名前の下の字だけ、同じ読みの漢字をいろいろ調べたら、1ついいのがあった。
でも、なんだか1文字変えただけで、ガラッと雰囲気が変わって別人みたいだ。

本人が全く気にしてないのに、わざわざ字画が悪いと教えたら気に障るかな?
第一、ダンナは絶対に反対するに決まっている。(←この人が名付け親)
占いとか全く信じない人で、おみくじも1回も引いたことがない。

ダンナの方の親戚に、大人になってから改名した男性がいる。
離婚したり大病したりしたので運を変えようと全く違う名前に改名した。
年賀状はその名前で出すけど、呼び方は小さい頃のままだ。

友だちは、結婚してから画数が悪くなったみたいで、
「名前の方はひらがなで書いて」と頼まれて、以来年賀状にはひらがなで出している。
戸籍までは変えなくても、女性の場合はかな書きで通すのもいいアイデアかも。

これ以上の災難には遭って欲しくないし、順調に実のある人生歩いてもらいたい。
やっぱり、小さい頃から馴染んだ名前は大事にして、自分の悪い点に気をつけて、
本人が運勢変えたいと思ったら、1文字変えて日常生活で使いなさいと言おう。

ちなみに、娘は結婚して前よりは良くなったけど、女性には強すぎる画数。
どう見ても強いのは娘だから、ちょっと強情なのは控えめにするように言おう。





名月も雲に隠れて
昨日は中秋の名月と満月が重なる貴重な日だったのに、
夕食後、散歩に出たけど、時折雲の間から見え隠れ。
今日は久しぶりに1時間近く歩いて汗かいて気持ちよかった♪
日は短くなってきたけど、涼しくなって歩くにはいい季節。

写真は、夜10時半頃、ベランダから撮ったお月さま。
携帯を上に向けたら、「しばらく動かさないでください」と表示が出て慌てた。
どうも勝手にナイトモードという機能が働いて、なんかいい感じの写真になった。

娘から「その後お兄ちゃんの具合はどう?会社まだ休んでるの?」と連絡が来た。
そう言えば、退院してからここ1ケ月、いろんなことで報告したくてもできなかった。
実は・・と説明すると、「なんで?」と驚き、ため息と怒りと困惑の声。

そう、娘は性格がダンナ似で、父親以上に心配性で、真面目で、几帳面。
直接本人に言わずに、私の方にばかり文句を言って来るのも同じ。
やっとダンナが現状を受け入れたかと思ったら、今度は娘の番だ。

息子の生き方や人間性を全否定されて、考え直すよう説得してと言われ、
「何とかなるよ。大丈夫よ。あれで結構しっかり考えているみたいだし」
「お母さん、甘いよ! 帰ったら絶対、もめるよ。お父さんもよく納得したね」
「大丈夫よ。母さんもあと3年、働くことにしたから」
「え~~?!なんでお兄ちゃんのためにお母さんが無理しなきゃいけないの?」 

娘は兄を近くで見て来て、いつまでもフラフラしてるのが大嫌いなのだ。
ダンナさんやご両親や友だちに対して、兄妹として肩身が狭いのだ。
せっかくここまで来たのに、もったいない。他にまだ道があるはずだと。

自分だって、他に行きたい大学があったけど、受かった大学で我慢して、
好きでもない仕事だったけど、行ける所で勤めたのに、わがまましすぎだと。

確かに、やりたい放題ではある。
けど、いつも一生懸命だったと思うし、そんな生き方しかできない人もいるよ。

「お兄ちゃん、まず改名するべきだと思う」と、痛い所を突いてきた。
娘よ、気付いてた? 姓名判断、あんまりよくないんだよね~ でも今更・・?

「そりゃ~婿殿、いい画数してるもんね」と言うと、
「彼だって、仕事めちゃめちゃ大変だけど、辛くても我慢してるからでしょ!」
はい、そうでした。公務員といえど残業が最も多い忙しい部署、あれは大変だ。
前会った時、マジで転職考えるけど、家族を路頭に迷わせるわけにはいかないと言ってたな。

うまく行かなくて、将来、自分たちを頼られても困ると、全く信用していない。
「帰ってくるなら、ちゃんと生活費は取ってよ」と手厳しい。(当然です)
こっちは気休めしか言えないし、後でダンナに言うと、超ウケていた。

こうなったら、本人に結果を出してもらうしかない。
折しも息子から合格の知らせが来たので、「初志貫徹!!」と念を押した。
きっとうまくいく。なんとかなると思えるのは、やはりおめでたいのかな?
「やればできる!」と、私だけは信じてみよう。





嵐のあとの日曜日
嵐のあとの日曜日
嵐のあとの日曜日
冷血漢の石頭が、何事もなかったかのように、
「明日は試験頑張ってねってLINEしないでいいのか?」と言う。

そんなことに気が回るなら、なんで懐をもっと深くして迎えてあげないのだろう。
私なんか息子に合わせる顔がなくて、何も連絡できないのに・・
親に拒絶され、ヤケになり試験も放棄したとしたら最悪だ。

翌日、「無事、AO試験終わった」と息子からLINEが来た。
面接の手ごたえもよく、予想していた質問がバッチリはまって完璧に答えたし、
試験も2問しか間違えてないはずだと、自信満々だった。
私はそれ以上に、こうして親子LINEに連絡してきてくれたことにホッとした。

緊急事態宣言が延びたので、航空券払い戻しもできたようだ。
半年間有効の同じ格安航空会社でのみ使える同額の金券が全額戻ってくるとか。
よかった~!
私がうやむやなせいで発生したチケット代、ドブに捨てなくて済んだ。

と同時に、もう完全に今回は来る気はないということがわかった。
だから、もうそのことには触れずにいた。
それに台風14号の進路次第では、帰る予定の日が最も接近して欠航になったら困る。

私が専業主婦で、ダンナが仕事していたら、反対されても帰らせたと思うけど、
残念ながら、主夫は冷血漢の石頭なので、仕方ない。
でも、本格的に帰って来ることは、ダンナも覚悟を決めているみたいだ。
そのうち、氷が解けて、何事もなかったように父子の会話もできたらいいな。


今日は買い物ついでにホームセンターに寄って、久しぶりにガーデニング。
夏の花が終わって殺風景になってきたので、初めての花に挑戦♪

1株で60cmも広がるらしい、スーパーベルのホーリーカウ
赤に白が入ったのと、ブルーベリーの大輪の花がきれいなナデシコ
赤白2色植えの可憐なフェアリースター
黄色がかわいいビデンス・ハッピーエンパイア 

植えつけたら、庭も心も明るくなってよかった!(^^)!



夫と息子の板挟み
夫と息子の板挟み
いろいろあって、明け方近くまで寝つけなかったのは、つい先日のことだ。

主治医から診断書を貰い、会社にも月末まで自宅療養を延長してもらった息子。
「実家で療養してもいいと許しが出たから、今度帰るね」
と言われて、つい話を合わせ、
ちゃんと父親の気持ちを伝えてなかったのがいけなかった。

ダンナは「お前が帰って来るなと言わないからだ」
と怒るけど納得できないし、
こんな時に帰りたくなるのは当然なのに、それを断るなんてとてもできない。

「どうせ来年から帰ってくるのに、なんで今、帰る必要があるんだ」
「飛行機に乗って、ウィルス持ち帰ったらどうするんだ」

今だからこそ、里帰りが一番の気分転換になるんじゃないの?
「もう十分抗体を持っているので、ワクチンも元気になってから打てばいい」
と主治医に言われたそうだし、私たちも2回接種済みだから神経質にならなくても。

きっと昼間の一人の時間を邪魔されたり、余計な気を遣いたくないに違いない。
いつまでもグズグズ言うのは甘えてるからだ、と言い放つ。

退院する前は「うちに帰って養生したらどうだ?」と言っていたのに、
今では「何しに帰ってくるんだ!」って、全く意味が分からない。
学生時代から何度もだまされたと、また昔のことを蒸し返して不機嫌になる夫。


そんなこと言い合ってる間に、「日曜日の何時の便で帰る」とLINEが入った。
 あーーー最悪な展開!!!  

これでは、帰って来ても気まずいだけだ。
とても上手く説明できる自信はなかったけど、電話で「実は…」と打ち明けた。
支離滅裂で、全然うまく説明できず、めちゃめちゃ息子を傷つけてしまった。
ダンナの冷血漢な石頭に腹が立つし、もっと早く説明できなかった自分にも腹が立つ。

頭に来て「もうチケット買ってしまったってよ。どうするの!」と詰め寄ると、
渋々「その間、仕事休んでお前があいつの世話するんなら、迎えに行ってやる」

でも、時すでに遅し。

息子の気持ちは固まり、今回は帰らないと言って譲らない。
どこかで親父の地雷を踏んで何か怒っているのは気づいていたけど、
帰ることまで拒絶されたのはショックだったって。

でも、確かに空港まで電車で長時間かかるし、それから飛行機に乗って、
自分がキャリアになって実家へウィルスを持ち込むこともあり得るから、
もっと元気になって、コロナが収まってから帰るって。
板挟みになった私を気遣って、もう平気だからと最後はなだめるような文面だった。

あれ以来、3人が3人それぞれの立場で思い通りにならないため息をついている。 

「実家で暮らすということは、こんなことの繰り返しだよ」
「わかってる」とは言っていたけど、板挟みの日々がまた始まりそうで気が重い。

息子の心境を考えたら、とてもじゃないけど、返事も打てない今日この頃。。
なんでこうなるかな~? 
せっかくうまく行っていたのに、コロナのせいで人生が変わっていく。







メインは唐揚げと枝豆?
メインは唐揚げと枝豆?
8月最後の日曜日。雲ひとつない青空だ。

この前の救援物資で終了・・と思っていたけど、
「父さんの唐揚げ、食べさせてやるぞ」とダンナ。
唐揚げ・蒟蒻・里芋の煮物・おから・おからサラダはダンナ作。
枝豆は親戚が作った”湯あがり娘”で、茹でると香りと甘みが全然違うのです♪

後、筑前煮とカボチャ、トマトジュース、納豆、地元銘菓のポエムを入れて第3便を発送した。
クロネコの窓口は、いつもに増して荷物を送る人が多かった。皆、思いは同じ。
これからの世の中、宅配便の仕事って、絶対なくならないだろうね。

写真を送ると「唐揚げ食べたい!昼まだ食べてないから、ヨダレが・・」と返事が。

あれ以来、電話もメールもしていない。
でも、着実に、息子は将来に向けて計画を立てているみたいだ。
ホントに実行するのかわからないけど、なんとなく、将来の青写真が目に浮かぶ。

ダンナも私も、息子の年頃には、まだ今の会社には入っていなかった。

子どもが小さいうちはパートタイマー、37で契約社員になり、
39の時、パソコンや簿記の教室に通い、(簿記は全然ダメだった!)
40で正社員になって今に至る。
ダンナなんか最後に転職したのは40半ばだったけど、うまく出世して定年を迎えた。

だから、息子が今から路線変更しようと思っても、あまり不安は感じない。
きっと別の、思いもしない人生が広がっていると思えるからだ。

それに40近くの路線変更は、若い頃より生活かかってるから、気合いが違うはず。
それまでの人生経験が味方して、柔軟に対処でき、うまく立ち回れるものだ。
ずっとやってみたかったことを勉強して、資格をとり、職業にしたいそうだ。

「だから、その間、実家で住まわせてもらってもいい?」

「えええ~?? 」

どうも、私、「あと1年で辞める」とか言ってられなくなったような・・

65になるその日まで、あと3年は働いておいた方が身のためかもね…
食費もかかるし、大変だぁ(^▽^;)





ネガティブ発言にタジタジ・・
ネガティブ発言にタジタジ・・
「無事に生還した、退院できた~!」と喜んでいたけど、
本人にしてみれば、退院しても、全く以前と違って身体がしゃんとしないし、
夜もよく眠れないし、一つの動作をするのに時間が倍以上かかって息があがる。

とてもツラいそうだ。

そして、何で自分だけこんな目に遭わなきゃいけなかったんだろうと考えると、
上司は週2でテレワークしているのに、下っぱの自分は毎日、出社して、
それを代わってくれる人はいなかった。

効率の悪い仕事を何とかしようと進言したけど、うやむやになり、
なんであの日、テレワークしないであの電車に乗ったんだろうとか、
上司に対する苛立ちとかがいつも頭の中をグルグル回るそうだ。

ゆうべは思い詰めて、すごく長文なメールが来た。息子の心の叫びだった。
自分が倒れてから初めて、会社が今までのやり方を見直しても遅いのだと。

「余計なことは考えず、今はゆっくり、自分の身体を治すことに集中して、
復帰後の会社の出方を見てから行動してもいいんじゃないの?」と言ったけど、
それは客観論で、どうやって息子の心に添ってあげればいいか、よくわからない。

前の晩、一睡もできなかったから、昼間も倦怠感で思うように動けず、
それでネガティブなことばかり考えて余計に落ち込んでいたんだろう・・

メール読んで電話してみたら、睡眠薬を飲んで眠気が出たところを起こして
間が悪かったけど、3、40分くらい愚痴につき合って切った。

今日は迷ったけど、連絡が来るまで蒸し返すのは止めた。
自分で気分を変えて、立ち直るしかないもんね。

これが「後遺症」なんだろうな。
余程、ツラかったんだろう。完全に、自分に自信を失くしてしまってる。
身体も動かない。忘れていることもあるようだけど、それを確認するのが怖い。
薬の量が減るにつれて、身体もしんどくなってくる。
元の生活に戻れるんだろうか。テレワークさえ、ちゃんとできるだろうか。

将来のことを考えると、今までの生活は、もう続けたくないそうだ。
こっちに帰って新しい道を探してもいいし、まだ若いから別の道はきっとあるよ。
今なら、体調を理由に辞めてもすぐに失業保険出るだろうしね。

それでも体力が回復したら、やっぱり頑張ると言い出すかもしれない。

タレントの野々村真さんが、やせた痛々しい姿で退院の報告をしていたけど、
多分、あんな感じでゲッソリして、全然気持ちは立ち直れていないんだろうな。
芸能人だって、感染するのが当たり前みたいな環境で仕事して、
そこに復帰していくんだから、いろいろ言いたいことはあるだろう。

とにかく元気を出してほしい。
あれを乗り越えたんだから、きっとこれから、何でも乗り越えられるはず。
がんばれー!!




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