高野山の紅葉はどこに?
2020年11月26日 旅行 コメント (8)
出遅れた・・やっぱり行くのが1週間遅かった。
無常にも紅葉は散った後で、道端に茶色い落ち葉が積もっていた。
平地では今が見頃でも、高野山の紅葉は11月中旬まで。
こんなことなら紅葉おすすめスポットの写真なんか見るんじゃなかったよ(;_;)
どこかに残ってないかと未練たらしく歩き回った1日だった。
朝6時に大阪南港に到着し、そこから車で2時間半。
8時半に中の橋駐車場に着き(まだ余裕で駐車できた)舗道を歩いて戻り、
「一の橋」から「奥の院」まで続く参道を歩いていった。
杉の巨木が立ち並ぶ広大な墓地には、武田信玄、石田光成、明智光秀、豊臣秀吉、織田信長と、歴代の武将のお墓や大名家、戦没者などたくさんのお墓が並んでいる。
苔むした墓石や墓標。ここだけ時の流れが止まっているようだ。
秀吉や信長のお墓の前には、人の列ができているからわかりやすい。
前にいた初老の男性がよろけて墓標に手をついてしまい、ただでさえ傾きかけていたのが完全に30度くらい傾いてしまった。
思わず、その場にいた皆が口を揃えて「あ~あ」と言った。
元に戻そうかと思ったけど、根元が朽ちているので折れてもいけないし、
当の本人「すみません~」とえらく恐縮していた。信長公よ、お許しを。
井戸の底に自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬという「姿見の井戸」を見つけ、ドキドキしながら中を覗いたら、無事見えて‘‘ホッ‘‘とした。
「御廟橋(ごびょうのばし)」の前の広場にたどり着いた頃には人の数も増えて、
とうとう奥の院までやって来たなと感慨ひとしお・・(^^)
そこから先は写真撮影も禁止されている神聖な場所だ。空気からして違う。
灯籠堂で満願成就のお礼詣りをし、納経所で88箇所の納経帳の1番前に御朱印を頂いてついに逆打ちの旅は完結した。
記念に、着ていた白衣の背にも御朱印を押してもらった。
白衣を着ているとお遍路さんとわかるので、納経も丁寧にしてもらえたような気がする。参拝客の1割もいただろうか。
中の橋近くの食堂でかなり早めのお昼を食べて、次に向かったのは金剛峯寺。
その頃になると近くの駐車場は満車で入れず、ぐるぐる回って高野山大学の臨時駐車場の坂道のずっと上にようやく駐車できた。
他のお寺が新しく派手なのに対して、ここは古い昔ながらの重厚な茅葺の屋根が歴史を感じる。
ちょうど厄年だし、本堂で護摩木に「家内安全 無病息災」と書いて厄払いをお願いし、(500円でもここで拝んでもらえば最強だ)御朱印を頂き、内部を拝観した。
その中で、豊臣秀次が自刃した部屋があってちょっとビックリ。
世継ぎのはずが、秀吉に実子ができたために邪魔にされて高野山へ追いやられ、最後は28才で命を落とし、家族も皆殺しにされた悲劇の人。
こんな山奥に追いやられた時の気持ちはいかほどだったことか。
そんな歴史と繋がっていることを思うと、一気に高野山の存在が近くになった。
裏手には、見事な石庭もあり、四国の花崗岩と京都の白川砂が使われているそうだ。
いい加減、歩き疲れたけれど、紅葉狩りがダメならと高野山の御朱印集めをすることにした。
長くなるので、後半に続きます。
写真上は、御廟橋。奥に弘法大師の拝殿となる灯籠堂がある。
2枚目は、織田信長のお墓。墓標が傾く前にぜひ撮りたかった。
写真下は、女人堂。
なんとも風情がある佇まいで心惹かれました。
そこで納経してくれた話好きな方が「紅葉も終わったのに今日は人が多いですな」と言うので、「私みたいにまだ紅葉してると思って来てガッカリしてる人が多いんですよ」と返した。
無常にも紅葉は散った後で、道端に茶色い落ち葉が積もっていた。
平地では今が見頃でも、高野山の紅葉は11月中旬まで。
こんなことなら紅葉おすすめスポットの写真なんか見るんじゃなかったよ(;_;)
どこかに残ってないかと未練たらしく歩き回った1日だった。
朝6時に大阪南港に到着し、そこから車で2時間半。
8時半に中の橋駐車場に着き(まだ余裕で駐車できた)舗道を歩いて戻り、
「一の橋」から「奥の院」まで続く参道を歩いていった。
杉の巨木が立ち並ぶ広大な墓地には、武田信玄、石田光成、明智光秀、豊臣秀吉、織田信長と、歴代の武将のお墓や大名家、戦没者などたくさんのお墓が並んでいる。
苔むした墓石や墓標。ここだけ時の流れが止まっているようだ。
秀吉や信長のお墓の前には、人の列ができているからわかりやすい。
前にいた初老の男性がよろけて墓標に手をついてしまい、ただでさえ傾きかけていたのが完全に30度くらい傾いてしまった。
思わず、その場にいた皆が口を揃えて「あ~あ」と言った。
元に戻そうかと思ったけど、根元が朽ちているので折れてもいけないし、
当の本人「すみません~」とえらく恐縮していた。信長公よ、お許しを。
井戸の底に自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬという「姿見の井戸」を見つけ、ドキドキしながら中を覗いたら、無事見えて‘‘ホッ‘‘とした。
「御廟橋(ごびょうのばし)」の前の広場にたどり着いた頃には人の数も増えて、
とうとう奥の院までやって来たなと感慨ひとしお・・(^^)
そこから先は写真撮影も禁止されている神聖な場所だ。空気からして違う。
灯籠堂で満願成就のお礼詣りをし、納経所で88箇所の納経帳の1番前に御朱印を頂いてついに逆打ちの旅は完結した。
記念に、着ていた白衣の背にも御朱印を押してもらった。
白衣を着ているとお遍路さんとわかるので、納経も丁寧にしてもらえたような気がする。参拝客の1割もいただろうか。
中の橋近くの食堂でかなり早めのお昼を食べて、次に向かったのは金剛峯寺。
その頃になると近くの駐車場は満車で入れず、ぐるぐる回って高野山大学の臨時駐車場の坂道のずっと上にようやく駐車できた。
他のお寺が新しく派手なのに対して、ここは古い昔ながらの重厚な茅葺の屋根が歴史を感じる。
ちょうど厄年だし、本堂で護摩木に「家内安全 無病息災」と書いて厄払いをお願いし、(500円でもここで拝んでもらえば最強だ)御朱印を頂き、内部を拝観した。
その中で、豊臣秀次が自刃した部屋があってちょっとビックリ。
世継ぎのはずが、秀吉に実子ができたために邪魔にされて高野山へ追いやられ、最後は28才で命を落とし、家族も皆殺しにされた悲劇の人。
こんな山奥に追いやられた時の気持ちはいかほどだったことか。
そんな歴史と繋がっていることを思うと、一気に高野山の存在が近くになった。
裏手には、見事な石庭もあり、四国の花崗岩と京都の白川砂が使われているそうだ。
いい加減、歩き疲れたけれど、紅葉狩りがダメならと高野山の御朱印集めをすることにした。
長くなるので、後半に続きます。
写真上は、御廟橋。奥に弘法大師の拝殿となる灯籠堂がある。
2枚目は、織田信長のお墓。墓標が傾く前にぜひ撮りたかった。
写真下は、女人堂。
なんとも風情がある佇まいで心惹かれました。
そこで納経してくれた話好きな方が「紅葉も終わったのに今日は人が多いですな」と言うので、「私みたいにまだ紅葉してると思って来てガッカリしてる人が多いんですよ」と返した。
コメント
いいお参りだったようですね♪良かった!良かった!
世が世なら女性は入れなかった所に自由に行けるっていいですね。
私は女人高野で室生寺に行ってきました。
そうでしたか…紅葉はちょっと間に合わなかったですが。
高いところだと早いらしいですものね。
でもきっと凛とした特別な空気に包まれたところだったのではないでしょうか?
実家が真言宗なので空海(弘法大師)様は親近感があり、菩提寺のご住職達も皆さん高野山で修行なさったと伺っています。なので私も一度行ってみたいんですよ。
ポピーさんはご功德ですね。時間を作っていつか私も訪れたいです。
お話の続き楽しみにしています。
このお遍路というのが、弘法大師様の足跡をたどるものであるということも、なんにも知らなかった私です、勉強になりました(^_^;)
高野山も、行きたいと思いながら行けてないところの一つ。
歴代武将のお墓!秀次自刃の部屋!ワクワクする~(^_^;)
来年は絶対に行きたいです!
そうそう、女人禁制の話が出たので3枚目に写真アップしました。
「女人堂」というのが坂道を登った端っこにひっそり建っていて、昔の女性が来られるのはここまで。ここからお大師さんを拝んでいたんですね~
でも、真言宗は宗派を選ばず広い心で受け入れるから、世間の一般の人たちも気安くお遍路とか楽しめるんですよね。私もどちらかというとミーハー気分でやってますから、あまり功徳とかなさそうです(^^)
紅葉は残念だったけど、ホント、凛とした空気は歩いていて気持ちよかったです。ぜひ、まるこさんも行ってみて!
すごいですよ。山全体にお寺が100いくつかあるそうで、どのお寺も洗練されててとてもいい雰囲気。
名もないお寺巡りしてる人たちでいっぱいです。
私も絶対、もう1度リベンジしたいです。
お礼まいりなんてすごいです!ジャニーさんのお墓、みつけましたか?
裏参道には著名な会社のお墓がいっぱいあったけど、ジャニーさんのお墓には気がつかなかったな〜