中学からの仲よしグループ。
家が近いとか、気が合って交換日記してたとか、そんな友だち同士がいくつか合体して、たまにしか里帰りしない今でも、サッと6人が集合してワイワイガヤガヤとりとめのない話をして飲み食いするという関係だった。
先週、その中でも背が高い順で1番最初に親しくなった子が突然電話してきて、
「今ダンナと旅行中で、もうすぐそっちに着くから道後温泉に一緒に入ろうよ」と言うのでビックリ!
買い物から帰ったばかりで時間も午後2時半すぎ。
「温泉入る気分じゃないから松山城ならつきあうよ」と30分後に待ち合わせて急きょ2年ぶりの再会となったのでした。
久しぶりに会う彼女はますます体格がよくなっていて(私も人のことは言えないけど)「もうどこまで太るのって感じよね~」とくったくなく笑って相変わらずだった。
彼女に負けず劣らず背の高いダンナさんは還暦過ぎても相変わらず姿もやることも若くて、石垣に2、3段よじ登って写真のポーズをとるような人で、お城や歴史に詳しかった。
看護師しながら4人の子を育て、つい最近結婚した美人な娘さんの結婚式の写真やスピーチをタブレットで見せてくれた。上の男の子2人もシュッとしたイケメンになっていたけど、まだ末の女の子は高3。これからまだ学費もいるというから大変だ。
たった1時間半の再会だったけど、お互い友情を再確認して(笑)友だちっていいなと思った。
そんなめったにない再会を果たした翌日の朝、今度は別の友だちから珍しく携帯が鳴った。
「ごめん朝から。実は、今朝Sさんが亡くなったって連絡があって・・」
「えーっ!!」
遠くに住んでる私には表立って聞かされていなかったけど、実は地震があった日に胃がんがわかって、余震も収まらないうちに胃を全摘、その後回復していたのに今度は乳がん(!)ずっと抗がん剤治療をしていたそうだ。
闘病中だとは聞いていたけど、今年も年賀状が来たし、機種変でLINEから友だちが消えた時も彼女だけは残っていて、「ガラケー卒業?」と明るい様子で連絡してくれた彼女。
「よかばあちゃんになりよるね。今年もよろしく~」っていつもの調子だったのに。
あの時もっとやりとりすればよかった。病気のことは知らないことになっていたのでそれっきりだった。
Sさんは結婚するのが遅くて子供には恵まれなかったけど、その分ダンナさんと二人三脚で2つのコンビニを切り盛りして、友だちの息子たちをバイトで雇ってあげたりしていた。
中学時代は私はジュリー、彼女はゴローの大ファンで、カラオケは何でもうまいし、話の面白いフランクな人だった。いつも元気でおよそ早死するタイプじゃないと思ってた。大地震の時はがんの宣告に落ち込む間もなく店の片づけに追われ、店の子たちを自宅に泊めてあげたりしてたんだって。
地元でつるんでいた友だち3人は、そんな彼女のダンナさんが仕事に出ている間や、親戚の人が帰って誰もいない合間に交代で付き添っていたそうだ。
「頑張りやで8回も抗がん剤打って治そうと頑張ってたんだよ」と聞いた。
みんな彼女のためだけでなく、自分たちが後悔しないよう最期までつきあわずにはいられなかったのかもしれない。
旅行から帰った翌日にお通夜に行った友だち、残されたダンナさんが「彼女と結婚して幸せでした」と挨拶して、楽しそうな思い出の写真がたくさん飾られていて泣けたと言っていた。
思いがけなく、普段連絡もしない友だち同士で連絡網が頻繁になったけど、
元気な姿しか知らないまま、もう2度と会えなくなってしまった。
健康で、友だちがいて、家族がいて、こうして生きられることはとても幸せなんだと改めて思った。
無念だった彼女の分まで・・!
家が近いとか、気が合って交換日記してたとか、そんな友だち同士がいくつか合体して、たまにしか里帰りしない今でも、サッと6人が集合してワイワイガヤガヤとりとめのない話をして飲み食いするという関係だった。
先週、その中でも背が高い順で1番最初に親しくなった子が突然電話してきて、
「今ダンナと旅行中で、もうすぐそっちに着くから道後温泉に一緒に入ろうよ」と言うのでビックリ!
買い物から帰ったばかりで時間も午後2時半すぎ。
「温泉入る気分じゃないから松山城ならつきあうよ」と30分後に待ち合わせて急きょ2年ぶりの再会となったのでした。
久しぶりに会う彼女はますます体格がよくなっていて(私も人のことは言えないけど)「もうどこまで太るのって感じよね~」とくったくなく笑って相変わらずだった。
彼女に負けず劣らず背の高いダンナさんは還暦過ぎても相変わらず姿もやることも若くて、石垣に2、3段よじ登って写真のポーズをとるような人で、お城や歴史に詳しかった。
看護師しながら4人の子を育て、つい最近結婚した美人な娘さんの結婚式の写真やスピーチをタブレットで見せてくれた。上の男の子2人もシュッとしたイケメンになっていたけど、まだ末の女の子は高3。これからまだ学費もいるというから大変だ。
たった1時間半の再会だったけど、お互い友情を再確認して(笑)友だちっていいなと思った。
そんなめったにない再会を果たした翌日の朝、今度は別の友だちから珍しく携帯が鳴った。
「ごめん朝から。実は、今朝Sさんが亡くなったって連絡があって・・」
「えーっ!!」
遠くに住んでる私には表立って聞かされていなかったけど、実は地震があった日に胃がんがわかって、余震も収まらないうちに胃を全摘、その後回復していたのに今度は乳がん(!)ずっと抗がん剤治療をしていたそうだ。
闘病中だとは聞いていたけど、今年も年賀状が来たし、機種変でLINEから友だちが消えた時も彼女だけは残っていて、「ガラケー卒業?」と明るい様子で連絡してくれた彼女。
「よかばあちゃんになりよるね。今年もよろしく~」っていつもの調子だったのに。
あの時もっとやりとりすればよかった。病気のことは知らないことになっていたのでそれっきりだった。
Sさんは結婚するのが遅くて子供には恵まれなかったけど、その分ダンナさんと二人三脚で2つのコンビニを切り盛りして、友だちの息子たちをバイトで雇ってあげたりしていた。
中学時代は私はジュリー、彼女はゴローの大ファンで、カラオケは何でもうまいし、話の面白いフランクな人だった。いつも元気でおよそ早死するタイプじゃないと思ってた。大地震の時はがんの宣告に落ち込む間もなく店の片づけに追われ、店の子たちを自宅に泊めてあげたりしてたんだって。
地元でつるんでいた友だち3人は、そんな彼女のダンナさんが仕事に出ている間や、親戚の人が帰って誰もいない合間に交代で付き添っていたそうだ。
「頑張りやで8回も抗がん剤打って治そうと頑張ってたんだよ」と聞いた。
みんな彼女のためだけでなく、自分たちが後悔しないよう最期までつきあわずにはいられなかったのかもしれない。
旅行から帰った翌日にお通夜に行った友だち、残されたダンナさんが「彼女と結婚して幸せでした」と挨拶して、楽しそうな思い出の写真がたくさん飾られていて泣けたと言っていた。
思いがけなく、普段連絡もしない友だち同士で連絡網が頻繁になったけど、
元気な姿しか知らないまま、もう2度と会えなくなってしまった。
健康で、友だちがいて、家族がいて、こうして生きられることはとても幸せなんだと改めて思った。
無念だった彼女の分まで・・!
コメント
今は2人に1人がガンになる時代だから人ごとじゃないよね。
地元で何かあると集まれる仲間がいるってステキなことですね。私は不義理してたので実家帰っても友達いないわー。地元に残ってる人も少ないし。
地元の友だちはご近所さんでランチに行ったり旅行に行ったり・・彼女もきっとみんなにみてもらえて喜んでいると思ってます。磯野さんは今の主婦友たちがベストフレンドなんでしょうね。