処暑の日の特集

2013年8月23日 日常
暦の上では「処暑」ー
最近ぐっと日の落ちるのが早くなったようだけど、なかなか暑さが収まる気配はない。

すぐそばの駐車場の入り口が近所のおばあさんたちの社交場になっていて、
夕方になると1人2人と集まってきて、涼みがてら世間話に花を咲かせているのです。
多い時は4、5人が、そこの低いブロック塀や手押し車の椅子に腰かけてしゃべったり、
足の運動に駐車場のこっちからあっちまでゆっくりそろそろ歩いたりー
アスファルトの照り返しで日が落ちてもすごい熱気なのに、元気なことだ。

じーさまが家に来て食事する時は必ず行き帰りにそこを通ることになるので、そのたびに、
「こんにちはー」「暑いですねー」「毎日、偉いね~」と声を掛け合うんだけど、
さっき挨拶して出て行ったばかりなのに、すぐまた帰りも挨拶するのはちょっと面倒。
昨日は曇っていたせいか、おばあさんたちの顔も薄暗くて見分けがつかないほどだったので、これからは1日1回の挨拶で済むかもね。。
「お前も年とったら、あそこで誰かとしゃべるんだろ?」とダンナが言った。
ホントにね、年取って一人暮らしになっても気安くしゃべれる友だちが近くにいたらいいな・・


ところで今日の夕方のローカルニュースの特集で、23歳の時に従軍看護婦として
外地に赴き、終戦直後にマラリアで亡くなったじーさまのお姉さんのことが放送された。
帰りの船の中で亡くなったと聞いていたけど、記録によると享年25歳、タイの病院で
故郷に帰ることなく息をひきとったそうだ。

今も看護学校で教えている大学講師の方が、毎日の散歩コースで見かける彼女の
お墓に興味を持ったのがキッカケ。
戦死した兵士の名前のお墓はよくあるけど、女性の名前が彫ってあるお墓は珍しい。
この人はどういう人で、どんな経緯で戦死したのか気になっていたのだそうだ。
8人兄弟で今も元気なのは3人だけ。じーさまは記憶にあまり残っていないそうで、
唯一残った女兄弟でまだまだ口達者な末っ子のおばさんが前面に出て、自然体で
堂々としたものだった。
召集された時、「うちは男がたくさんいるんだから女のお前まで戦争に行かんでいい」と
父親は怒り母親は泣いていたそうだ。

「姉ちゃん来たよー」と年老いたおばさんがお墓の前で呼びかけている姿を見て、
こちらも涙が出た。7つ上のお姉さんとは、それっきり会えなかったんだもんな。
初めて見るキリッとした看護婦姿の写真はやはりこの家系の顔つきだった。
兵隊さんや病気で寝込んだ婦長さんにも、とても優しく接したそうだ。
なのに、せっかく終戦まで頑張っていたのに、祖国に帰る前に病に倒れるなんて・・

でも、おばさんが生きてるうちにこの特集が組まれてよかった。
でないと、召集の時のエピソードとか、誰も覚えてる人がいなくなるもの。
取材のおかげで、何月何日に約ひと月かけてシンガポールからビルマに入るなど、
詳細で貴重な記録や当時の県庁前で撮られた集合写真も見ることができた。
こんなことがなかったら、何も知らずにいたはずだった。
じーさまも放送後、感慨深そうに電話してきた。
「録画したから、また一緒に見ようね」と言ったら、嬉しそうだった。


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